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特集 北国ラーメンものがたり 北海道四大ラーメンを訪ねる「札幌編」 取材・文/編集部
札幌ラーメン誕生の三つの舞台

札幌のみそラーメン
札幌のみそラーメン
(協力:「北龍」札幌市中央区南1西20)
 札幌にはラーメン店がとても多い。
 たいていのラーメン好きは市内にひいきの店を何軒ももち、みそ味はこっち、塩はあっち、さっぱりしたいときはそっち…と使い分けている。
 それだけに「札幌ラーメン」をひとくくりに表現することは難しい。九州系のとんこつスープを取り入れる店や、人気急上昇の旭川ラーメンなどのスタイルが混在し、さらに各店独自の新しいラーメンが考案され、どんどん多様化が進んでいる。

 一方、昭和30年代から有名になった「札幌ラーメン」も健在である。おもな特徴は、中太でコシのある黄色みがかったちぢれ麺、具にはチャーシュー、メンマ、長ネギのほか、炒めたモヤシやタマネギなどの野菜が入る。スープは豚骨が主体で、こってり濃厚なうえ表面がラードでおおわれ、冷めにくくて食べごたえも充分。

 この札幌に、ラーメンが生まれ育った舞台をみると、大きく三つに分けることができる。最初は、大正時代にお目見えした中国料理店でのラーメン。次に、まちの喫茶店や食堂で出されたラーメン。そして第二次大戦がおわり、いよいよ三つめの舞台が現われる。ラーメン専門店の前身となる屋台ラーメンの誕生である。

なま麺の比較
札幌ラーメン 東京ラーメン 博多ラーメン
▲札幌ラーメン
ちぢれ麺、断面は角、太さ約3ミリ
▲東京ラーメン
ちぢれ麺、断面は角、太さ約2ミリ
▲博多ラーメン
ストレート麺、断面は角、太さ約2ミリ
その1 中国料理店で生まれたラーメン
大正11年、北大前に開店した「竹家」
▲大正11年、北大前に開店した「竹家」。出前に行く自転車部隊がずらりと並んでいる。(写真は店を拡大改装後の昭和9年ころ)(写真提供:大久昌巳さん)
竹家の経営者大久昌治氏の四男、昌巳さん 竹家の経営者大久昌治氏の四男、昌巳さん。竹家時代の写真をいまも大切に保管している。「竹家のラーメンは、あっさりしているけれどコクのある、おいしいラーメンでしたよ」
竹家のラーメン
 大正11(1922)年、札幌はもちろん、日本のラーメン史上でも有名な料理店「竹家(たけや)」が北海道大学の正門前に開店した。はじめは大衆食堂だったのが、中国人の料理人を雇い入れてから中国料理の専門店となった。そのころ札幌には、本格的な中国料理を出す店はほかになかったようだ。当時の『札幌商工人名録』にも、支那料理竹家の名前しか出てこない。
 北大に来ていた中国人留学生をはじめ、教授、学生、北大病院の医師などが、竹家の味に魅せられた。なかでも評判のメニューのひとつに、「肉絲麺」という麺料理があった。ところが、店に来る日本人客がなかなか料理名を覚えてくれないため、「ラーメン」と名づけて貼りだしたところ、これがだんだんに定着した。
 東京や横浜にはすでに中国料理店はあったが、まだ「中華そば」「支那そば」という呼び方が一般的だったころのことである。
昭和4年、狸小路に開店した中国料理店「芳蘭」の祝賀パレード
▲昭和4年、狸小路に開店した中国料理店「芳蘭」の祝賀パレード(写真提供:大久昌巳さん)
当時の中国料理の人気ぶりを伝えている北海タイムスの新聞記事(昭和2年)
▲北海タイムスの新聞記事(昭和2年)「非常な勢ひで、近来主として知識階級に賞味せられ、これを噛み分ける事が、近代紳士の一つの資格にもなつてきた。」と当時の中国料理の人気ぶりを伝えている。
『札幌商工人名録』に掲載された「精養軒」の広告(昭和4年)
▲『札幌商工人名録』に掲載された「精養軒」の広告(昭和4年)精養軒は北海道開拓のためケプロンらが来道した際、専属料理人として東京から来た小口一太郎がケプロンの帰国後に札幌で開いた。西洋料理店としてオープンしたが、のちに料理の幅を広げたことがわかる。

昭和初期、西洋料理から中国料理へ
 ちょうどこのころ、大正末期から昭和にかけて札幌に中国料理のブームが起こりはじめていた。竹家の大繁盛をうけて、昭和2(1927)年に当時札幌随一の商店街・狸小路に中国料理店「芳蘭」が開店。すぐあとに「第二芳蘭」ができ、オープンを記念して盛大なパレードまで行われている。
 そのころの新聞記事には、「知識階級のたしなみ」として中国料理が紹介されている。また、札幌の西洋料理の草分け的存在である「精養軒」が、昭和4年に中国料理を出すようになっている。

 そもそも日本は、古代から中国料理の影響を受け続けてきた。古くは奈良・平安時代に遣唐使や遣隋使によって飲食文化がもたらされ、貴族の間で流行した。鎌倉時代には多くの僧侶が行き来し、そこから精進料理が生み出されたといわれる。江戸時代にはそれらが普通の人々にも広がっていった。味噌やしょうゆ、豆腐、納豆なども、ルーツはみんな中国にある。

 しかし明治維新のころになると、日本中で西洋文化を取り入れることに全力が注がれる。西洋料理への関心も一気に高まり、中国料理の発展はすこし歩みがおそくなる。札幌でも明治から大正にかけて、魁養軒、豊平館、米風亭、精養軒、有合亭など、歴史にのこる料理店がいくつも開いた。
 その後、西洋料理が落ち着きをみせたころから、人々の興味はさらに中国料理へと移っていったようだ。昭和5(1930)年になると札幌の中国料理店はすでに10軒ほどになり、昭和9年には「札幌グランドホテル」が開業し、翌年にホテルとしては全国でもいちはやく中国料理をはじめた。
 こうして、急速な中国料理の広がりのなかで、札幌ラーメンの原形は育まれていったのである。

[参考文献]
『札幌商工人名録』(札幌商工会議所)
『華料の友別冊・北華調のあゆみ』(北海道中華調理師会)
『札幌の歴史第30号』(札幌市教育委員会文化資料室)
『北海道西洋料理界沿革史』(全日本司厨士協会北海道本部)
『華僑・華人事典』(弘文社)
『日本史小百科16飲食』(近藤出版)など

[取材協力]
 株式会社菊水 杉野邦彦さん
 株式会社かね彦 長谷川一男さん

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