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特集 流氷の海へ

オホーツク紀行――流氷と氷民への旅

取材・文/編集部 写真/酒井広司、編集部
◆常呂の海と森に生きたオホーツク人

 オホーツク人とは、どのような人たちだったのか。
 モヨロ貝塚などから出土したオホーツク人の人骨を調べると、その姿が見えてくる。
 オホーツク人は、男性の平均身長が160センチくらいで、全体に顔が大きく、鼻が低かった。顔は平らに近いという。鼻が高いエスキモー人とは異なり、シベリアや極東ロシアの少数民族と近い特徴をもっている。
 発掘された人骨からは、くらしの姿も見えてくる。
 オホーツク人の特徴として、歯がすりへっていることがあげられる。これは皮をなめすなど、歯を道具として使っていたことかららしい。また歯石が多く見られ、高タンパク質の食事によって口の中がアルカリ性になっていたことを示すという。海獣などを生活の糧としていた、狩猟の民としての特徴だろうか。

オホーツク人の住居再現模型 では、住まいはどうだったのか。
 その答えは、隣町の常呂(ところ)町にあった。
 網走をオホーツク海にそって北上するとすぐ、常呂町に入る。
 常呂は「ホタテと遺跡のまち」だという。日本のホタテ養殖の発祥地であり、今も海の恵みとともに生きるまちである。
 ここには、旧石器時代、縄文文化、続縄文文化、オホーツク文化、擦文文化、アイヌ文化の全ての時代の遺跡があり、見つかった竪穴式住居の跡は約二千五百以上にのぼっている。この遺跡のなか、常呂川河口近くで、オホーツク人の住居跡が、発掘されている。建物は火災にあったらしく、多くの遺物がそのままのかたちで家に遺されていた。
 住居は、縄文の竪穴式住居に比べるとかなり巨大で、そのなかで6家族30人ほどが暮らしていたようだ。家族は壁際の家族ごとに区切られたスペースを使い、中央には共用の作業スペースがあった。
 土間の奥からは、熊の頭骨が多数見つかっている。
 家の中に、ヒグマなどの動物の頭骨を祀り、熊送りなどの祭事を行っていたと考えられているが、常呂からはトドの骨で作られたクマの骨偶も出土しており、このようにオホーツク人にとって、ヒグマは神聖な動物だった。

 オホーツク人は、やがて当時の北海道に広く住んでいた擦文(さつもん)人と融合し姿を消す。
 擦文人は、現在のアイヌ民族の直接の先祖である。
 アイヌユカラには、陸の人(ヤウンクル)と沖の人(レプンクル)の戦争が描かれているが、この陸の人とは擦文人であり、沖の人がオホーツク人であろうと考えられている。
 流氷とともに、海の彼方からやってきた氷民・オホーツク人は、イヨマンテ(くま送り儀式)に見られるように、アイヌ民族のなかに自らの伝統をのこし、日本人のひとつの遺伝子となっていったのである。

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栄浦第二遺跡88号墓から出土した、オホーツク文化の土器(写真提供:常呂町)
 
常呂川河口遺跡のオホーツク文化の住居跡(空撮)。正方形の畔は一辺4メートルほど。(写真提供:常呂町)
 
トコロチャシ跡遺跡から出土したクマの彫刻品。クマの全身が細部までリアルに表現されている。(東京大学常呂実習施設蔵)
 
クマ犬歯でつくられたラッコの彫刻品。常呂川河口遺跡15号出土。(写真提供:常呂町)

 

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