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オホーツク海の謎を解明する 取材・文/上林俊樹 写真/編集部

 オホーツク海にはまだ、たくさんの謎がうずまいている。

 たとえば、そもそもオホーツク海の流氷はどこで生まれるのか。どうしてこんなに南の海(オホーツク海と同じ緯度にある海で、流氷が見られる場所はほかにない)で、毎年流氷が見られるのか。

 謎が明らかにされなかった理由は、オホーツク海の大部分が旧ソ連領で、沿岸にびっしりと軍港が並び、研究者がやって来るのを拒んでいたためである。基本的なデータがほとんど観測されていなかったのだ。
 その謎が、近年やっと明らかにされてきたという。
 オホーツク海の謎を解明すべく、日ロ米合同のプロジェクトに挑んだ、北海道大学・若土教授にお話を聞いた。

若土正曉さん

若土正曉さん
北海道大学低温科学研究所教授・附属環オホーツク観測研究センター長(2005 年4 月より低温研所長予定)。1944年、瀬戸内海に面した因島で生まれる。北海道大学に入学し、地球物理学、低温科学研究所で海洋学を学ぶ。紋別の海で初めて見た流氷に衝撃をうけ、北の海についての研究を志す。

 

ソ連の崩壊で観測が可能になった

 謎とされてきたオホーツク海の全貌を、日本、ロシア、アメリカの科学者たちが、1997年から5年間にわたるプロジェクトで探った。その中心となったのは、北海道大学低温科学研究所である。
 プロジェクトのテーマは、「オホーツク海氷の実態と気候システムにおける役割の解明」。オホーツク海の実態を把握し、<大気―海洋―海氷システム>をトータルに解明するのが目的だった。

 これまで、オホーツク海のほとんどのエリアはロシアが主権を主張しており、冷戦期には軍事的な制約から観測調査ができなかった。実際、オホーツク海の北側は軍事基地や軍港が密集し、観測船の行き来に神経質になったのも無理はない。しかし、ソ連が崩壊し、ロシアが誕生したことにより、警戒がゆるやかになり、観測が可能になったのである。
 海洋研究をはじめて約30年、ずっと「オホーツク海の研究をしたい」「現場で調査をしたい」と願い続けていた若土教授に、ついに到来した大きなチャンスだった。

 

ロシア船「クロモフ号」による海洋観測を続ける

 日本政府がこのプロジェクトに投じた研究資金は、研究費としては破格の7億円。
 思い切った使い方ができ、しかも5年間という長い調査期間が認められる画期的なものだった。「研究者にとって、夢のようなプロジェクト」である。
 若土教授らはこの資金で、ロシア観測船「クロモフ号」をチャーターしてオホーツク海ほぼ全域の海洋観測をし、さらにロシア航空機を用いた冬季の大気海氷観測、砕氷パトロール船「そうや」を用いた海氷域観測などを行い、オホーツク海のベールを少しずつ、はがしていった。

三国の研究者によるクロモフ号の船上作業。(写真提供:北海道大学低温科学研究所)
クロモフ号の前に立つ研究者たち。左から、ラドニック教授、レジャー博士、若土教授、キセーレフ船長。(1999年12月/東京電力発行『イリューム』より 写真/岩切等)

 クロモフ号は、1998年、1999年、2000年、2001年の4回、それぞれ40日間、季節を変えて航海している。船には、つねにロシアの海軍士官が2人乗り込んだ。研究者たちに怪しい動きがあれば、すぐに観測を中止させるためである。
 また、新しい観測を行うには、モスクワの中央政府の諸機関にいちいち許可を得なければならず、その手続きが大変だった。何か事を行うごとに、沿岸警備隊、海軍など十カ所程の各機関の許可が必要となる。
 プロジェクトのリーダーである若土教授は、厳しい監視体制やロシア政府への複雑な手続き、そして各国の研究者たちの間での調整で苦労したという。

 「しかし、だんだんロシアの士官たちも、『彼らは純粋なサイエンスをやっているんだ』と理解してくれたようです。自分たちも、重要な研究に参加しているという気持ちをもってくれた。最後には、時化のときになど命がけで活躍してくれました」

 

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