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駅弁のあゆみ――一、上弁、並弁から、地域色豊かな特殊弁当まで
大正時代の札幌駅構内立売人(『北海道鉄道百年史・下巻』より)
明治34年の札幌駅構内への「入場鑑札」(表と裏)。裏に鉄道会社名の焼き印がある。
 
比護屋製造、明治・大正時代の駅弁、おすしのレッテル
 

大正11(1922)年4月、イギリスのウェールズ皇太子来日を記念して作られたレッテル。初の全国共通レッテルで、多色刷りで模様も美しい(以上、札幌駅立売商会所蔵)

 

 明治15(1882)年、幌内鉄道は札幌―幌内間に線路を延ばし、明治22(1889)年には岩見沢から分岐した幾春別(いくしゅんべつ)鉱山までが開通した。岩見沢駅ではこのころから、構内で餅やまんじゅうが売られるようになった。
 その後、幌内鉄道は北海道炭鉱汽船株式会社に払い下げられ、明治23年4月から札幌駅構内で高田文蔵という人が弁当、すし、まんじゅうの販売をはじめる。当時の列車発着は1日8本で、弁当は乗り継ぎ客にたいへん喜ばれたという。明治32(1899)年からは比護屋(一代目・比護与三吉氏)が許可を得てあとをひきついだ。

 「比護屋」は現在も「札幌駅立売商会」として営業を続け、北海道一の老舗となっている。札幌駅立売商会の三代目社長・比護了造さんにお話を聞いた。
 「昔の駅弁は今のように種類が多くなく、とてもシンプルでした。昔の人は駅弁にグルメを期待していなかったし、弁当は弁当、で充分満足だったんじゃないかな。値段によって上等と並があって、名前もただの『御弁当』です」

 その後、明治25年ころにできた静岡県の「鯛めし」に代表されるように、各地で特産物をメインにした「特殊弁当」が作られるようになり、北海道にもその波がやってくる。
 大正12年、さきの比護屋で「石狩鮭めし」と名づけた駅弁が作られ、これが北海道の特殊駅弁のさきがけとなった。そのころ石狩川にたくさん遡上していた鮭を、そぼろにしてご飯にしきつめたお弁当で、まだ冷凍技術がないため、秋限定の味わいだった。

 また、駅弁の歴史のなかで大きな特徴をもつものに、「軍弁」がある。軍弁とは、文字通り軍隊が食べる弁当のこと。戦争中、各地で大きな演習や作戦があると、何百人もの軍隊が鉄道で移動したため、途中の食事が駅弁営業者に発注されたのだ。しかも、軍隊の行動はあらかじめ公開できないので、業者はいつも突然、大量の注文に大慌てだったという。
 「軍から連絡がきて明日の朝までに何百個などと言われると、もう大変でした。国家機密ですから、他の仕出屋に頼んで協力してもらうこともできません。とにかく徹夜で仕事をしたそうです」と比護社長。
 時代の流れとともに、駅弁もさまざまに形を変えている。

 

【関連情報】

 

大正12年生まれの「石狩鮭めし」(札幌駅立売商会)現代版はイクラがふんだんに使われるが、誕生時は鮭そぼろのみ。札幌駅構内、構外の売店などで販売している。
比護屋三代目となる比護了造さん

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