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「蝦夷共和国」の誕生  
土方、陸軍奉行並となる

 明治元(1868)年12月15日、蝦夷政権が誕生する。
 土方軍は、江差から戻った後、しばらく松前にいて、この日に合わせて五稜郭に凱旋した。101発の祝砲がとどろき、箱館は祝賀ムードにそまった。新選組隊士・中島登は、「市中ことごとく神灯を備え、徳川氏快復の業を祝う」(覚書)とその様子を書いている。

榎本武揚、蝦夷共和国の総印(「明治二年七重村開墾條約書」より/北海道大学付属図書館蔵) 士官以上の入札(選挙)によって選ばれた蝦夷政権の幹部は、蝦夷島総裁・榎本釜次郎(武揚)、副総裁・松平太郎、海軍奉行・荒井郁之助、陸軍奉行・大鳥圭介ら。
 土方歳三は、陸軍奉行並となった。
 いわゆるこれが「蝦夷共和国」とよばれるものである。
 相馬主計、大野右仲、安富才輔らの新選組メンバーは、陸軍奉行添役として土方を補佐し、ともに行動することになった。
 そして、新選組は箱館市中取締を任務とする部隊となる。

 

国際貿易港・箱館

 土方や榎本が、拠点とした箱館は、どのようなまちだったのだろう。
 箱館は、ペリー来航による安政元(1854)年の日米和親条約によって幕府直轄の開港場とされ、世界に開かれた貿易港として急速に発展した。アメリカ、イギリス、ロシアなどの領事館が置かれ、外国人も多く居留するようになった。
 記録では、ほとんどの家々が店や倉庫を開き、日中の道路には近隣の産物と買い物をする日本人、外国人であふれ、さまざまな腕のよい職人が仕事をしていたとある。
 蝦夷地開拓の一方で、国際貿易港としての箱館で蝦夷地の産物を商う。進んだヨーロッパの農業技術を日本にもたらす(榎本は、プロシア人ガルトネルに農地を貸し、後の七重官園のもととなった)。
 榎本の構想は、オランダ留学生としてヨーロッパに学んだ国際感覚からくるものだった。

 いま函館の元町界隈を歩くと、旧イギリス領事館や旧ロシア領事館、ロシア正教のハリストス正教会などの建物が、西洋と日本の出会いの姿を想像させる。そのすぐ近くにある称名寺は、新選組の屯所にも使われており、新選組4人の隊士名と土方の戒名が記された供養碑が建てられている。

旧イギリス領事館 (写真提供/函館国際観光コンベンション協会)
元町の教会群 (写真提供/函館国際観光コンベンション協会)
国際貿易港・箱館イメージ

 

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十二月十五日於函港祝砲之図(「麦叢録附図」/市立函館図書館収蔵)