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特集 新選組 北へ! トップイメージ 北海道人
トップイメージ 松前攻防 トップイメージ 道内唯一、日本最後の旧式城郭である松前(福山)城
旧幕府軍の侵攻図
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土方隊の城攻め
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松前町には、江戸の名残を感じさせる古い寺町がある
▲ 十一月五日海陸相合而陥福山城図(「麦叢録附図」/市立函館図書館収蔵)
幕末の松前(福山)城(市立函館図書館蔵)

 

▲ 松前町には、江戸の名残を感じさせる古い寺町がある  五稜郭に無血入城した2日後、明治元(1868)年10月28日、土方は700名の松前討伐隊を組み出陣した。
 函館の西約100kmの地には「松前藩」がある。
 新選組・永倉新八を生んだ松前藩だが、皮肉なことにこの年、勤王派が藩の重臣を殺害・自刃に追いやるクーデターを起こし、実権を握っていた。榎本軍に対しても、新政府軍の一員として激しく抵抗する姿勢を見せていた。
 榎本軍にとって蝦夷全島掌握のためには、一刻も早く松前藩を制圧する必要があった。
 知内、福島と松前藩兵の激しい攻撃を打ち破った土方隊は、束の間の休息ののち松前に向けて進軍を始めた。

 松前は、松前半島の突端にある「日本最北の城下町」である。車だと函館から約2時間の距離だが、当時は、はるか遠い道のりだったことだろう。
 松前町に入り、商店街の道を進むと、松前城の天守閣が目に飛び込んでくる。
 城内や城の背景に広がる静かな寺町は、春には一面の桜で覆われる。15〜16世紀に開かれた寺も多く、一見歴史の浅いと思われる北海道のなかで、松前藩は中世から江戸時代を生きてきた特異な存在となっている。 
 松前城の築城は安政元(1854)年、日本式城郭としては最も遅く築かれた城だ。
 外国船の相次ぐ来訪など、激動する国際情勢のなかで、海の守りを備えるための城で、設計は当時の三大兵学者の一人といわれた市川一学である。

法華寺から城を望む  11月5日早暁、土方隊、松前城攻撃を開始。
 土方はまず、城と谷ひとつ挟んだ高台にある法華寺に大砲を設置した。海からは軍艦回天が、艦砲射撃で城を狙っていた。法華寺から城までは、直線距離で約400メートル。実際にその場に立つと、城はすぐ間近に見え、何の障害物もない。砲撃には、まさに絶好のポジションだ。

 激戦ののち、松前藩守備兵は、城内と城下に火を放って敗走した。時刻は、午後一時ころ。
 土方はたった数時間で、松前城を攻め落とした。

   
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