北海道人・特集バックナンバー HOME バックナンバー一覧

北のお菓子たち 北海道人トップページへ
      べこもちの系譜
「べこもち」と「かたこもち」 「べこもち」と「くじらもち」 まだまだ深まる名前のナゾ べこもちのルーツ?東北をたずねて
「べこもち」と「くじらもち」
 下北で混同される「べこもち」と「くじらもち」は、同じものなのだろうか。
 現在、くじらもちで有名なのは下北ではなく、同じく青森の津軽地方の鯵ケ沢と浅虫、それから山形県の新庄市である。長方形で茶色いものが多く、しょうゆやみそなどで味をつけ、くるみや小豆を混ぜて蒸したお菓子だ。材料はべこもちと同じく米の粉。

新庄市の銘菓くじらもち
新庄市の銘菓くじらもち
写真提供:新庄市商工観光課
 新庄一帯は江戸時代に新庄藩だったところで、最上川を下ると当時の貿易船・北前船の船着き場だった酒田港がある。港には米や紅花など地域の特産品が一堂に集められ、京都や大坂へ送られた。逆に、北前船で運ばれてきた西からのさまざまな物産は、最上川をさかのぼっていった。そのひとつに、くじらもちがあった、といわれている。
 また鯵ケ沢は当時の津軽藩の御用港で、北前船の寄港地でもあった。その少し東部の浅虫へは、明治40年に鯵ケ沢から転居した永井家が「久慈良餅」として商品化し、売り出したという。

 一説によるとこのくじらもち、鎖国時代の長崎に中国からもたらされたという。江戸時代には日本各地で作られ、享保3年(1716年)、日本初の菓子専門書『古今名物御前菓子秘伝抄』には「くしらもち」として作り方が載っている。
 それによると、現在の新庄などのくじらもちとは、かなり様子がちがう。
 まず上白米を細かい粉にし、氷砂糖と混ぜ、ようかんを蒸すような箱に厚さ約 4.5cmに伸ばす。その上に、餡(あん)とくず粉を混ぜたものを厚さ約1.2cmに重ねて黒い色を添え、せいろで蒸し、冷ましてからいろいろな形に切る。

  「くしら餅」の断面図(下段右から3番め)(古文書『阿じの花』より)
「くしら餅」の断面図(下段右から3番め)(古文書『阿じの花』より)
 


 なぜ「くじら」の名前があるかというと、上面だけが黒く、下が白い色なので、くじら肉に似ているからとか、とにかくサイズが大きいので、大きい=くじら(鯨)から名づけられたといわれる。当時としては非常にぜいたくな材料を使い、手間のかかるものだった。その後、くじらもちという名前は残りながらも、姿はだんだんと変わり、山形や青森など各地に伝えられたのではないだろうか。

 このように、おそらく北前船ルートのくじらもちが、下北のくじらもち(=つまり下北式べこもち)とどのように関係があるかは今のところ解明されていない。
 しかし、同じ米の粉から作るよく似たお菓子であることは間違いなく、土地によって名前が混同されながら、その土地ごとに、独自の特徴を帯びてきたのではないだろうか。





前ページ 次ページ