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北のお菓子たち 北海道人トップページへ イメージ
      べこもちの系譜
「べこもち」と「かたこもち」 「べこもち」と「くじらもち」 まだまだ深まる名前のナゾ べこもちのルーツ?東北をたずねて
まだまだ深まる名前のナゾ
 和牛説で一段落ついたかとおもいきや、さらに文献を探していくうち、また別の説に出合ってしまった。
 明治18年創業の仙台の菓子屋「石橋屋」の先代で、「駄菓子の鬼」とよばれる石橋幸作さんが、東北の駄菓子を調査・収集し、いくつかの著書を残している。そのなかの『駄菓子のふるさと』(1961年・未来社)に、「青森県下北大畠大安寺佛供べろもち」というお菓子が絵入りで登場する。「べろ」とは、舌のことだろうか。そういえば、ベロンと出した舌のようにも見える。
 また、翌年発行された『みちのくの駄菓子』(1962年・未来社)には、同じく下北の大畑町で宿の主人に聞いたという興味深い話がある。

 この地方では六月五日を節句といって、家々では必ずべこ餅を作って、仏に供えたり食べたりする。「べこ餅」は「米粉餅」のことで「牛(べこ)餅」ではない。また「舌(べろ)餅」でもない。
 (石橋幸作著『みちのくの駄菓子』より)

石橋幸作さんの著書2冊。郷土菓子の魅力が満載
石橋幸作さんの著書2冊。郷土菓子の魅力が満載。
石橋さんの描いた「べろもち」
石橋さんの描いた「べろもち」
(『駄菓子のふるさと』より)

 牛でも舌でもなく、お米の粉だから、米粉(べいこ)もち。それがいつしか、べこもちに変わったのではないか。確かにべこもちの材料は、形の違う下北でも北海道でもすべて米の粉である。

 『駄菓子のふるさと』の「私の駄菓子蒐集について」という章に、こんなくだりがある。

 駄菓子の発達については、京・長崎に発生したものが、旅職人によって全国津々浦々まで普及したもの、その国で習得した職人が流れ流れてさまざまな駄菓子に伝播したものが、意外に多いのに驚くのであります。
 しかも同じ菓子で、土地土地の方言なり、習俗などによって、さまざまな名称が付されてあることなどは、その土地の民情や風俗などを知る重要な要素が含まれておるものです。(中略)各地方の素朴な住民がオヤツ用として手軽に無造作に作ったものが、いつか商人の手に渡り、別の土地の風俗・風土・民情に定着したものもあります。
 (石橋幸作著『駄菓子のふるさと』より)

くじらもち
くじらもち
くじらもち(べこもち)
北海道で作られている「くじらもち」。上から函館市(弁慶力餅)、浦河町(個人作)、松前町(北洋堂)のもの。ただし現在浦河では「べこもち」とよばれている。
 さらに、下北ではこのカマボコ型べこもちを、「くじらもち」とよぶ場合がある。

 最近は「べこもち」ということが多いが、かつては「くじらもち」のほうが一般的だったという。つまり、下北では「べこもち」と「くじらもち」は全く同じお菓子(=カマボコ型の下北式べこもち)を指すけれど、しだいに「くじらもち」の名前はすたれて、「べこもち」の地域が増えてきた。

 一方、北海道の函館や松前などの道南や、羽幌などの日本海沿岸にも、下北式べこもちと同様のお菓子があり、今もそれを「くじらもち」とよぶことが多い。模様は下北の伝統的な「うずまき」か「たばね」がほとんどだ。

 おそらく、かつて下北で「くじらもち」が一般的だった時代に、それが海を越えて北海道に伝播し、古い名前のまま根づいたのではないだろうか。北海道式のべこもちが「新べこもち」であり、北海道でいう「くじらもち」は、下北式べこもち=「くじらもち」なのだ。たいへんにややこしいけれど面白い。



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