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北海道人トップページへ 特集 そりと角巻き--北国のなつかしい冬 ストーブの話
湯たんぽ
ストーブが普及する以前は湯たんぽや火鉢が活躍
 冬のあいだ、北国では暖房器具が生活の中心となる。
 ポカポカあったかいストーブの存在は、わたしたちの心をおだやかにしてくれる。そう、ストーブはただの道具ではなく、「やすらぎの象徴」であり、「安心の証(あかし)」なのだ。
 ストーブという言葉を耳にするだけで、わたしたちの頭のなかには実にさまざまな情景が浮かんでくる。
 朝、家族でいちばん早く起きる者は何より先にストーブをつける。一日のはじまりはストーブにある。ストーブの上には水をはった蒸発皿がのっている。起きて少しすると、これがちょうどよいお湯になるので洗面器にあけて顔を洗う。煮物の鍋をのせておくと、ほどよい火加減で調理ができる。また、網をのせてモチやスルメ、コマイの干物、干しイモなどをこんがり焼く。こんなふうに食べものをのせる一方で、ストーブの横には雪にぬれた手袋や長靴が干してある。火事にならないように、あまり近づけすぎてはいけない。小さな子どもの居る家では、ストーブの周囲を細い針金の柵で囲ったりする。
 一日の終りもストーブにある。寝る前にストーブの火を消すと部屋が急に静かになり、しばらくは余熱が残って暖かく、おだやかな空気がただよう。「あぁ今日も無事に終わったな」という気持ち。それでは、北海道のストーブの遍歴についてお話ししよう。

 そもそも、日本で初めてストーブが作られたのは北海道の函館である。安政3年(1856年)、箱館奉行が港に停泊していた英国船のストーブを手本に製造したのが最初。設計者は函館五稜郭の設計で有名な武田斐三郎、当時はオランダ語で「カッヘル」とよばれた(現在、函館市末広町にある箱館高田屋嘉兵衛資料館に復元品が展示されている)。ただし、このストーブは一般には普及せず、人々は部屋のまんなかに切った「炉」を暖房の主役としていた。炉は鍋をつるして炊事にも、また照明としても利用された。そのほか火鉢や火燵(こたつ)なども開拓民が持ち込んで使っていたが、北国の寒さにはさぞ辛い暮らしだっただろう。

 明治になって北海道開拓使が設置されると、開拓使は欧米の技術を導入して寒冷地向きの住宅の普及につとめるとともに、ストーブの普及にも力を入れた。明治12年(1879年)に工業局工作所でアメリカ製のものをモデルに鋳物製と薄鋼板製のストーブを作った。しかし、これらは形が大きく価格も高いことから、ふつうの家庭では使われず、官庁などに設置されるにとどまっていた。やがて明治40年代に入ると、安価な薪ストーブが市販されるようになり一般に広まっていった。

薪ストーブのいろいろ
 
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