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角巻
特集 そりと角巻--北国のなつかしい冬
 
左のイメージのキャプション:明治36年 雪戦会(北海道立図書館蔵) title=
2. 女性たちの定番となった角巻 角巻ものがたり

 この赤ゲットから角巻が生まれたのか、またどのように生まれたのかは、よく分からない。
 しかし、明治20年代の北海道の新聞記事や広告には、すでに「角巻」の名が登場するから、日本の毛織物産業が誕生する明治10年代から時をへず、角巻は誕生したことになる。それが当時一般に知られていた赤ゲットの影響で生まれたことは、推理できる。

 日本における毛織物産業は、それまで輸入に頼っていた毛織物の国産化をめざし、明治9年〈1876〉に官営製絨所が設立され、明治11年〈1878〉東京の千住に工場が建設され、千住製絨所として操業を開始した。そこには日本軍の防寒対策として、毛織物の増産が必要だったという背景があった。
 また明治17年(1884)には、大阪の泉大津市で、民間初の牛毛布が製造されたことを始めとして、明治20年代に続々と工場が生まれ、日本の毛織物産業が興っていく。
 角巻が、庶民の防寒具として広がっていく背景には、このような日本の毛織物産業の発展があった。 
 本州の毛織物工場でつくられた角巻は、道内の呉服店を通じて、都市部から地方へと普及していった。角巻を研究した五代まゆみ氏によると、北海道で角巻が定着したのは明治40年代から大正期であり、明治30年代には花模様などの明るい色彩のものが多く、40年代から大正期には無地の角巻が普及したという。(「北海道における角巻の定着過程について」―北海道開拓記念館研究紀要より)
 花柄の角巻―。
 無地の小豆色のイメージが強い角巻に、花柄があったとは知らなかった。
 明治36年の「雪戦会」(当時の中学校で行われた雪合戦)を写した写真には、確かに花柄の角巻をまとった女性の姿がある。 
 
 また『札幌狸小路発展史』によると、明治44年から45年にかけて、札幌の狸小路で売れ行きのよかったものは「毛玉・毛布・角巻」とある。角巻は、当時にしてみると決して安価な商品ではなく、お嫁入りのときに買って一生大切にしたという証言もある。「角巻1枚米3俵」と言われていた時代もあったそうだ。また冬に馬そりに乗るときには、角巻が欠かせなかったという思い出を話す方もいる。
 女性にとってみれば、ショールやマントのようにまとえ、和服でも洋服でも合わせることができ、しかも断然に温かい角巻は、実用性とファッション性を兼ね備えたものだったのだろう。


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明治39年11月9日『北海タイムス』に掲載されたイラスト
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