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旅と食と文学と 文人たちが出会った味をたどる 五島軒
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 港町函館には、港に訪れた外国人たちによって、日本のなかでいち早く西洋料理がもたらされた。それまで牛は農作業の道具で、肉やバターはもちろん食べたことがなく、黒いコーヒーや赤いワインも見たことがなかったのに、よくもそんなに習慣のちがう食べものを人々は口にできたものだと思う。異文化を吸収する好奇心とはすごいものだ。 『蘆火野』の初版本
 その幕末の函館で、フランス料理のコックをめざす青年・河井準之助と、妻おゆきの人生を描いた小説が、船山馨の『蘆火野(あしびの)』である。12月、今年いちばんの大雪がふった日に函館へ向かった。飛行機は朝から欠航便が多く、時間はかかってもJRにして正解だった。札幌から函館まで特急で約3時間半。車内はすいていて、ゆっくり『蘆火野』を読むことができた。この物語には、明治12年創業の老舗洋食店、五島軒(ごとうけん)がモデルとして登場する。

  「生まれる子が物心のつくころには、おいらたちも日本へ帰れるだろう。おいらはな、おゆき。東京なんてえことになった江戸へは帰りてえとも思わねえが、いっぱしの腕になったら、函館に戻ってちんまりした店をもちてえと思っている。あの町の人たちがよろこんでくれるような喰物をつくって、お前と子供のそばで無事に暮らしてゆけりゃァ、おいらァはそれで本望だ。おいらはな、もう店の名も考えてあるんだ」
「まあ。なんていうんですか」
「お前とおいらの店だから、雪に河と書いてせっかと読ませる。雪河亭てえんだ」
(中略)
「大きな構えでも、派手な店でもねえが、フランス料理なら函館に雪河亭てえ家がある。値段は手頃だが、味は飛切りだ。人様がそう言ってくれるような店なんだ」(『蘆火野』より)

明治40年新血区の「西洋料理店」五島軒
雪河亭
記念館内部

歌
記念館内部

歌



雪河亭の人気メニュー
 船山と五島軒の三代目社長(現在は会長)の若山徳次郎は古くから交流があり、この場面から五島軒のレストランは「雪河亭」と名づけられた。レストランには小説を記念した展示室も設けられ、船山の自筆原稿や新聞連載当時の挿し絵などのほか、明治維新のころからの函館に関する古い資料がたくさん保管されている。

 美くしき 蘆火一つや 暮の原 青畝

 タイトルの蘆火野は、俳人・阿波野青畝が詠んだ歌に由来する。しばしば函館を訪れていた船山は、若山にその歌をしたためた書を贈っている。
 幕末の函館を思いながら五島軒で食事をした。ふと窓の外の坂道を、カゴを担いだおゆきが走って来るような気がした。港の市場から新鮮な魚貝を山盛り仕入れて、 元気よく息をはずませて。
 120年前の函館のまちも、いまと同じように、しんとして綺麗な雪が降り続いていたことだろう。

(本文中敬称略)

雪河亭

船山馨(1914―1981)
札幌生まれ。明治大学商学部を中退し、昭和11年から北海タイムス(現在の北海道新聞社)の新聞記者となる。戦後『北国物語』などで作家としてデビュー、昭和42年、北海道の歴史を背景に開拓者の女性を描いた大河小説『石狩平野』を発表しベストセラーに。その後『お登勢』『蘆火野』『茜いろの坂』など多くの作品を執筆、歴史ロマン作家の巨匠として不動の地位を築く。『蘆火野』は朝日新聞で連載され、昭和48年に初版本発行、のちに帝国劇場で公演が行われる。

五島軒・レストラン雪河亭
[住所]函館市末広町4-5
[電話]0138−23−1106
[営業]午前11時30分〜午後8時、無休
[ホームページ]http://www.gotoken.hakodate.jp/


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