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北の地図を愉しむ−その歴史といま
函館地図
函館港市街全図
改正函館港全図
函館山

 

  一枚の地図がある。
 「北海道三角測量 明治八年箱舘近傍ニ設ケタル助基線ノ位置ヲ示セル圖」と書かれた1875年(明治8年)の函館の地図(図1)である。
 この地図には函館山のいくつもの頂がケバ線で克明に描かれている。
 当時の函館山の写真を見ると、中腹以上はほとんど樹木のないハゲ山になっている。おそらく当時は、いくつもの頂が容易に確認できたのだろう。
 このようにハゲ山になってしまったのは、薪にするため木の伐採が進んだせいで、江戸時代末期には七飯町の倉山卯之助が私費を投じて2万本の杉の植林を行っている。
 1896年(明治29)の「函館港市街全図」(図2)など、明治前期の地図や絵図の多くには、この函館山の姿が描かれ、函館の美しい風景をアピールしている。
 ところが1899年(明治32)の正月に発行された「函館実地明細絵図」をさかいに、この年以降の地図や絵図からは、函館山の姿がかき消されるのである。同年発行の「改正函館港全図」(図3)では函館山は空白になっており、そのかわり欄外に「凾館衛戌司令官御許可」という文字が現れる。

 なぜ函館山は地図からかき消されたのだろうか。
 実は、この年の7月「要塞地帯法」が公布される。
日清戦争と日露戦争の狭間、富国強兵の政策のもと多くの要塞が建設されていった。ロシアのバルチック艦隊が通行すると予想された津軽海峡をのぞむ函館山にも要塞が建設され、函館山は「国家機密」となったのである。 
 要塞地帯法第7条にはこうある。
 「何人ト雖要塞司令官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ要塞地帯内水陸ノ形状又ハ施設物ノ状況ニ付撮影、模写、模造若ハ録取又ハ其ノ複写若ハ複製ヲ為スコトヲ得ス」
 函館山は、立ち入りはもちろん、写真はおろかスケッチも許されず、一般に出版される地図上からその姿を消したのだった(図4)。
 その函館山が再び地図上にあらわれるのは、戦後のことである。46年間、一般の人々が立ち入ることができなかった函館山は、緑におおわれた、美しい山へと変わっていた。「戦争」のおかげで動植物が守られ、都市の間近に貴重な自然を残すという結果となったことは、皮肉なできごとだった。

 

 
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函館山