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北の地図を愉しむ−その歴史といま
松浦武四郎
東西蝦夷山川地理取調図
日本蝦夷地質要略之図

 

 伊能忠敬・間宮林蔵によって完成された蝦夷地図は、内陸部が空白のままだった。
 ここに生命を吹き込んだのは、6度にわたる蝦夷地探検で、これまで和人に知られることがなかった内陸部まで踏査し、膨大な記録を残した幕末の探検家・松浦武四郎(図1)である。

 武四郎が1859年(安政6)に刊行した「東西蝦夷山川地理取調図」(図2)には、内陸部全体に山や川が描かれ、克明なアイヌ語地名が記されている。
 これが可能だったのは、武四郎のひたむきな調査のゆえんである。アイヌの案内人とともに、ときには凍える体を寄せ合いながら夜を明かし、ときには老エカシのトンコリの調べを聴きながら、かれはひたすら歩き、地名や文物、風俗、人名を記録し続けた。このような探検調査は他に例がなく、いまもわたしたちは、武四郎の事績によって当時の北海道の様子や地名を確認できるのである。
 明治維新の後、武四郎は開拓判官に任じられ、「北海道」の道名や、国名・郡名の選定に力を発揮したが、新政府のアイヌ政策に反発し職を辞したことはよく知られる。

 「探検」によって、世界地図にのこされた北方の空白を埋めていく時代は、これで終わりを告げ、明治以降は三角測量による近代的地図製作がおこなわれていく。その本格的な三角測量による地図製作も、明治6〜9年にジェイムズ・ワッソン、モーレイ・デイ、荒井郁之助らの手によって、北海道から始まったのだった。
 もうひとつ北海道がきわめて先駆的だったものに地質図がある。
 開拓使は、道内に眠る鉱物資源に着目し、その調査を本格的に開始する。そのためにアメリカから招かれたのが鉱山技師ライマン(図3)だった。ライマンは、開拓使の御雇技師として1873年(明治6)から道内の鉱物探査をすすめ、石狩炭田など多くの資源の状況を明らかにし、その調査は北海道の炭鉱開発の礎となった。
 そのライマンの手になる「日本蝦夷地質要略之図」(図4)は、地質を色分けしたきわめて美しい地図であるが、何より日本最初の地質図として画期的な意義をもつものであった。

 

 

 
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日本蝦夷地質要略之図