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特集 島紀行
縄文,説明
礼文島,海の工房の謎
縄文人  いまからおよそ3700年前、北海道には縄文人が住んでいた。その跡は、噴火湾沿岸など道内の各地で発掘された遺跡によって明らかにされている。1998年、礼文島の北、船泊湾に面した『船泊遺跡』では、28体もの縄文人骨が発掘され、『日本最北の船泊縄文人』として大きな注目を集めた。
 船泊遺跡ではじめて人骨がみつかったのは、戦後まもない1949年。当時から、島に縄文人が暮らしていたことは知られていたが、98年に大規模な発掘調査が行われると、そこに驚くべき発見があった。
 遺跡のなかから大量のビノスガイという二枚貝の破片、島で採れるメノウでできた1万個以上にのぼるキリの先端部分、作業用の炉跡などが発掘されたのだ。
 縄文の人々はビノスガイを割って中央にキリで穴をあけ、なめらかに磨いて仕上げる「貝玉」を首飾りや腕輪などの装飾品にしていたが、ここはその「貝玉工房」と考えられるのである。
 船泊の墓からもたくさんの貝玉が出ているが、船泊でみつかった貝玉と同様のものが、約1000キロ離れたロシアのバイカル湖周辺でも発見された。また大陸各地の遺跡で出た貝玉のほぼすべての種類が船泊からみつかっている。
貝玉  まさにこのことから、貝玉の原料ビノスガイとキリに使うメノウが豊富にとれる礼文島で、当時人気のあった貝玉を大量に作り、サハリンや大陸とも交易していたと考えられるのである。遺跡からは、新潟県糸魚川産のヒスイの大珠、南方産のイモガイやタカラガイ製のアクセサリーも見つかっている。南から対馬暖流にのってやってきた日本列島の終着地として、そして大陸との交易の入り口として、礼文島は位置していたのではないだろうか。
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