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北海道人トップページへ 特集 北の花めぐり
花見とジンギスカン

 以前、札幌から東京へ引越した友人にこんな話を聞いた。
 東京でむかえる初めての春、花見に誘われた彼女は、周りの人に聞いた。
 「東京では、お花見に何を焼くの?」
 「えっ? 焼く? とくに何も焼かないけど…」

 ジンギスカン北海道の花見には、絶対的にジンギスカンが欠かせない。満開の桜の下で、煙に巻かれながら(ときに寒さにふるえながら)ジンギスカン鍋を囲む楽しみ。これがなければ、花見の魅力は半減してしまう。花見とジンギスカンには、どんな関係があるのだろうか。

 北海道で初めて羊肉が食べられたのは大正時代。そのころ中国東北部(かつての満州)に渡った日本人が、モンゴルの羊肉料理をみて研究をはじめたとされる。中心となったのは、大正6年に種羊場のできた札幌の月寒と滝川で、羊肉普及のための料理がいろいろ考案された。

 その後、昭和6年に月寒種羊場の山田喜平さんが書いた『綿羊と其の飼い方』という本に、「成吉思汗(ジンギスカン)」の料理法がくわしく紹介されている。昭和11年には札幌狸小路の「横綱」という店のメニューにジンギスカンが登場。昭和28年には会員制の「ツキサップ成吉思汗クラブ」が発足。それまで北海道では毛を刈るために羊を飼っていたが、日本中に化学繊維が普及したため、羊が余ってしまい、食用に方向転換したのだ。
 やがて昭和30年代になると「味付き肉」や「タレ」を販売する会社ができ、一般家庭にも急速にジンギスカンが広まる。そしてこのころから、いよいよ花見とジンギスカンの関係がはじまる。

 札幌から北へ約80キロ、滝川市に有力な「花見ジンギスカン」発祥説があるという。
 昭和31年、滝川で創業した「松尾羊肉専門店(現、株式会社マツオ)」の専務にお話をきいた。
 「昭和32、33年のことです。私どもの店では、当時から味付きジンギスカンを販売していました。その店の近くに滝川公園があって、たくさんの花見客でにぎわっていたんです。大勢の人が、ゴザを持って目の前を通りすぎていく。私たちは、どうにかしてその人たちに肉を売りたいと思いまして…」
 そこで、知り合いに肉と七輪をもたせ、花見の公園でジンギスカンをやってもらった。肉の焼ける香りが一面にただよい、周りにいた人たちの食欲を刺激した。その場で肉の販売を行うと、あっという間に行列ができ飛ぶように売れた。貸出した七輪が足りなくなるほどの盛況ぶりだったという。
 煙を気にせず、豪快に食べるジンギスカンは、アウトドアにぴったりだった。大勢で食べるとなお美味しい。ビールにも良く合う。
 「あまりの人気に驚いて、それまでは販売だけでしたが、店でも食べられるようにしたんです」
花 昭和31年といえば、札幌―滝川間の鉄道が複線化した年。滝川の花見の様子は、鉄道にのって札幌にまで伝わったのだろうか。何はともあれ、数年の間に全道に広まった。花見だけではない。海水浴、遠足、花火大会、キャンプと、屋外で大勢が集まれば、そこにはジンギスカンの宴が繰り広げられる。

 そんな北海道でも、かつては「花見弁当」が作られていた。
 大正10年の『北海タイムス』をみると、「家庭的な花見弁当」の献立が載っている。
 「ご飯は桜めしのお握り、口取り代わりとして鱒の照焼、厚焼玉子、隠元豆、ほうれん草、海苔巻、たずな蒲鉾、甘煮代わりに貝柱甘煮、くわい、蓮根甘酢、椎茸・筍、奈良漬・味噌漬の香の物」――たいへん豪華なご馳走だ。一家の主婦は準備にさぞかし時間がかかっただろう。前日から下ごしらえし、当日は朝早くから玉子を焼き、お握りをつくり、重箱に詰め…。
 しかし、ジンギスカンの出現でその手間は激減した。ラクをして、美味しくて、値段も安く家族も喜ぶとあれば、こんなに嬉しいことはない。北海道に「お花見ジンギスカン」が定着したのは、女たちの喜びが大きく働いているのかもしれない。

花見

 

◆参考文献
・『農家の友』(昭和51年7月号)吉田博著「成吉思汗料理物語り」
・『成吉思汗クラブ報』ツキサップ成吉思汗クラブ発行
・『中央農業試験場のホームページ』
 高石啓一著「ジンギスカン料理の起源について」
・『札幌の歴史』(24〜26号)文野方佳著「明治大正期の花見」

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