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  ◆美唄市中村からのおいしいレポート
  『とりめし』は地元の大切な宝。私たちは、それを守り、伝える役割があります。―「郷里(さと)の味なかむらえぷろん倶楽部」

 その知人は悔しそうにいった。
「美唄に寄ってとりめしを買いに行ったら、もう売り切れだったのよぉ!」
 その人気は巷でじわじわと広がっている。
 「中村のとりめし」というネーミングから「中村さんが作ったの?」と聞かれるが、そうではない。中村とは、とりめし屋の店名ではなく、美唄市から約10キロ、石狩川沿いに位置する「中村地区」をさす。
 明治27(1894)年、三重県などから中村豊治郎氏が率いる開拓者たちが入植し、このあたりに「中村農場」を作った。人々は荒れ地や石狩川の氾濫と闘いながら、厳しい開拓生活を送っていた。当時は主食に粟やきび等を食べていたが、それだけではとても体が持たない。そこで貴重なタンパク源として、各家の庭先で地鶏が飼われるようになった。
 大正時代になって稲作が始まると、大切な米と地鶏を使った「とりめし」が誕生した。何もない時代に、祝い事や遠方からのお客様をもてなすときのご馳走だった。とりめしの味つけは、家によってそれぞれ違っていたという。
 「30年くらい前までは実家でも鶏を飼っていました。そしてどの家でもお客さんが来る日は、とりめしを作っていましたよ」とJA美唄女性部「えぷろん倶楽部」代表の小見山孝子さん。
地鶏,鶏飯
中村のとりめし
<写真提供・美唄市企画財政部企画課>

  代表,副代表


  えぷろん倶楽部



とりめし,とりもつ,おこげのおむすび
とりめし(上2つ)、とりもつ(左下)、おこげのおむすび(右下)
 平成10年、地元の農家などのお母さん達でつくった「えぷろん倶楽部」がとりめしを商品化した。米の消費拡大と地域の活性化を目的だったが、なによりも「伝統のとりめしの味を継承して、みんなに食べてほしい」という思いが一番強かった。道産の鶏もも肉やもつなどを炒めて、しょうゆ、酒、砂糖で味つけ、それらを地場産米の『ほしのゆめ』といっしょにガス釜で炊きあげる。材料も作り方もいたってシンプルだ。ご飯は鶏肉の油としょうゆがよく絡まって、つやつやに照り輝いている。食べるとその艶はねっとりとしたこくに変わって、旨味を深める。
 「昔は地鶏を使っていたので、もっとこくがあったようです。いまのとりめしは幅広い年齢層に合わせて、少しあっさりした味に仕上げています」と小見山さん。とりめしは1日平均60パックほど作る。販売はAコープの美唄各店では毎日、砂川、岩見沢などは期日指定で、配達も自分たちで行う。イベントや会合で使うおかず付きの弁当や1升釜の宅配など、単発のオーダーも少なくない。また、炊きあがった後、取り出したもつを販売したところ、酒のつまみに合うと隠れた人気商品になった。
 とりめしを販売し始めて5年目。倶楽部のメンバーは25名、みんな忙しいので交代で仕事を切り盛りしている。売り上げが安定する一方、新聞や雑誌、テレビの取材も増えた。レトルトパックにしてはどうか、札幌でも販売してほしい、という声に、正直なところ戸惑いもある。
 副代表の佐藤秀子さんは「でもとりめしは私たちが開発した商品ではなく、昔からの地元の宝。味を変えずに、大事に守っていく役割があります」。

 
・美唄市のホームページ
http://www.city.bibai.hokkaido.jp/
・JAびばいのホームページ「えぷろん倶楽部」のページ
http://gis.net-bibai.co.jp/users/epuron/epuron.html


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