北海道人・特集バックナンバー HOME バックナンバー一覧

 

北海道人トップページへ

人工雪


人工雪誕生の地
北海道大学構内に建つ「人工雪誕生の地」の碑

中谷宇吉郎 中谷宇吉郎(1946年)
(写真提供:U.N. limited)


北海道大学ホームページ
http://www.hokudai.ac.jp/

 
特集 雪の楽園<パラダイス>
中谷宇吉郎への旅--雪は天からの手紙である
●北海道大学の「人工雪誕生の地」碑
 北海道大学の構内にひとつの碑が建っている。
 六角形をかたどった大理石の碑は、雪の結晶をデザインしたものだ。碑文には「人工雪誕生の地」とある。
 碑は、瀟洒なゲストハウス「エンレイソウ」の前にたたずみ、凍てついた道を行き交う学生たちを、じっと眺めているようにも見えた。
 今から約65年前、北海道大学低温研究室があったこの場所で、世界初の人工雪が誕生したのだった。
 わたしたちの中谷宇吉郎への旅は、ここから始まる。

 中谷宇吉郎(1900〜1962)は、世界的な雪氷学者であるとともに、「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残した一級の随筆家だった。東京帝国大学で寺田寅彦の門下生だった中谷は、1930年に北海道大学に助教授として赴任。その2年後、もともと原子物理学の研究者だった中谷は、雪を研究のテーマに転ずる決心をし、以来30年にわたって世界の雪氷研究をリードし続けた。
 その引き金となったのは、1931年に出版された、アメリカの農民ベントレーが一生をかけて撮り続けた雪の結晶の写真集『スノー・クリスタル』だった。その結晶写真の美しさに中谷は強く感動する。今も読み継がれる『雪』(岩波文庫)のなかで、中谷はこう書いている。
「彼のこの写真帳の出現は、私の前から心にかけながら延び延びになっていた日本における雪の研究に着手しようという企てに対して引き金の役をつとめてくれたのである」
 その転機は、北海道大学では原子物理学の研究が困難だったことも影響していた。北海道にはその風土にあった研究があると考えたとき、そこに<雪>が見えたのである。そしてその底には、中谷が加賀という北陸の雪国に生まれ育ったことも影響していたに違いない。


 

寺田寅彦
寺田寅彦(1935年)
『寺田寅彦全集第二巻』(岩波書店)より




・寺田寅彦記念館(高知市)
(寺田寅彦が4歳から19歳まで過ごした旧宅を復元した記念館)
http://www.city.kochi.kochi.jp/
ccfa/x01.cgi?ms=s01l02



・高知県立文学館(高知市)
(寺田寅彦記念室がある)
http://www2.net-kochi.gr.jp/
 ̄kenbunka/bungaku/


 
●寺田虎彦と中谷宇吉郎
 中谷宇吉郎は、1900(明治33)年7月4日、現在は石川県加賀市に編入されている温泉町・片山津に生まれている。弟は後に考古学者となる治宇二郎である。
 家は呉服商だったが、父はずいぶんとハイカラな人で、当時は珍しいショーウインドーを作ったそうだ。父は中谷を九谷焼の陶工にしようと考えていたが、急逝したことが中谷の転機となった。小松中学校、旧制第四高校を出た中谷は、東京帝大理学部物理学科に進む。そこで出会ったのが物理学者・作家として高い名声を得ていた寺田寅彦(※)だった。
 寺田の門下生となった中谷は、大学卒業後も理化学研究所の寺田研究室に研究生として残る。寺田との出会いが、物理学者・中谷宇吉郎の全ての出発点となったと言っても過言ではない。科学者としての姿勢、飽くなき好奇心、生き方、その多くを中谷は寺田寅彦から受け継いだ。
 中谷は後に「寺田先生の追憶」をはじめ、寺田寅彦について多くの回想を残している。
 銀座の千疋屋で寺田に連れられて初めてメロンを食べたとき、格好をつけて身の三分の二程度しか食べなかった学生たちに、皮の近くまで食べた寺田が、きょとんとしながら「君たちは、メロンは嫌いですか」と尋ねた逸話など、中谷がユーモアを交えて描く寺田の姿は、実に生き生きとその人となりが伝わってくる。
 中谷は、科学への姿勢として寺田から深い影響を受けた言葉を紹介している。
それは、
「ねえ君、不思議だと思いませんか」
という、ひと言である。自然を相手にしたとき、常に自分自身で驚きを感じなければならないという教えを、中谷はこの実にシンプルな言葉から学んだ。そして、もうひとつ、
「一番大切なことは、役に立つことだよ」
という言葉を、中谷は終生大切にしている。「役に立つ」というその科学観こそ、その後の中谷の研究を大きく方向づけるものに他ならなかった。


1/4
<<目次に戻る