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「極上の石狩鍋」中井貴惠
  ジャガイモ  北海道に七年住んでいた。住んでいる間に友人たちは口をそろえてこう言った。「いいわね。おいしいものがいっぱいある所に住んでいて」。確かに素材の良いものはたくさん手に入る。しかし、その素材の良さを損なわず本当においしいものを出す料理屋は、北海道にはきわめて少ないと私は思っている。
 ジャガイモ一つとっても素材の良さは日本一だろう。しかし、富良野のホテルで食べたジャガイモ料理にはがっかりした。手を加えなければ最高の男爵なのに、ベイクドポテトのように焼いてあり、中にグラタンのようなものが詰まっている。北海道でこんなまずいジャガイモ料理を食べるとは夢にも思っていなかった。ほくほくに茹であげ、シンプルに落としバターか塩で食べたらどんなにか美味しいことだろうと思ったものだ。
  サケ  住み始めてすぐの頃、千歳からの高速道路に実に珍しい落とし物を見つけた。道路の真ん中になんと鮭が一匹。「?」と我が目を疑いつつ、走る車の窓からその不思議な落とし物を見つめた。確かに鮭だ。生鮭か新巻かそこまで判断できなかったが、ゴロンと鮭が一匹姿のまま。誰がどうやってどこから落としたものなのかは今も謎であるが、なんとも北海道らしい豪快な落とし物だった。
 鮭といえば石狩鍋だが、私が生まれ育った東京の家ではあまり石狩鍋は食卓にのぼらなかった。私がこの石狩鍋の美味しい調理法を知ったのは北海道ではなく、その前に住んでいたアメリカでのことだった。
  玉ねぎ  教えてくれたのは同じ時期ニューハンプシャーに住んでいた日本人だった。何でもざく切りにしたタマネギとぶつ切りの生鮭をまずはフライパンでたっぷりのバターとオイルで炒めるのだという。そしてあとは、好きな野菜や具(白菜、にんじん、ネギ、大根、椎茸、豆腐など)をみそ仕立ての汁の中で煮て、そこへ炒めたタマネギと鮭をいれる。ことこと煮たら、さらにそこに落としバター。まさに和洋折中の味つけだ。みそとバターがなんともいえないおつなコンビネーションを見せ、鮭の旨さを引き立たせる。アメリカではもちろん、アラスカ産サーモンでこれを作り、たくさんのアメリカ人を鍋のとりこにした。
 しかし、本場北海道、ここではもちろん道産の生鮭でこれを作る。そして、落とすバターも天下一品の北海道の牧場直産もの。最後は具を全部引き上げ、残ったスープにご飯を入れ雑炊を作る。生卵を落として三つ葉を散りばめ、できあがり。汗をかきながら鍋の醍醐味を雪景色と共に味わう。まさに極上の石狩鍋だ。
 北海道を離れた今も、我が家は鮭とバターだけは北海道から取り寄せている。バターは今も定期的に札幌出張のある夫が買って帰り、鮭はなくなった頃に北海道の友人経由で送ってもらうという具合だ。そろそろ東京も寒くなり鍋の季節の到来である。眺める雪景色はないけれど、鍋をかこめば北海道で暮らした日々を懐かしく思い出す。
 我が家の石狩鍋は今も変わらず、極上の逸品である。

中井貴恵中井 貴惠(なかい・きえ)
女優・エッセイスト

1957年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中に東宝映画「女王蜂」(監督:市川崑)のヒロインでデビュー。数々の新人賞を受賞する。その後、1982年東映映画「制覇」で日本アカデミー賞助演女優賞受賞。以後、映画、テレビ、CFなどで活躍する。1987年、結婚。アメリカ、札幌と移り住み、現在は東京在住。数々のエッセイを出版、新聞などでエッセイやコラムも担当するなど、執筆でも活躍。現在、ボランティアの「大人と子供のための読みきかせの会」代表としても活動中。主な著作に「貴惠のニューイングランド物語」、「父の贈りもの」、「娘から娘へ」、「ピリカコタン〜北の大地からのラブレター」、「赤毛のアンを探して」、訳絵本として「大きな木のおくりもの」、「おおきなかぶ」、「オオカミだって…!」がある。
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