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特集鮭ものがたり 大地と海と神と
 
縄文人とサケ
 サケは、コンビニ弁当では定番のおかず、そしてオニギリの具としてもおなじみの魚です。おそらく、子どもから大人まで、日本でもっとも人気のある魚といっても過言ではないでしょう。石狩市は、江戸の昔から石狩川にのぼるサケが有名で、石狩魚(当時のサケの別名)の産地として、その名は江戸表まで聞こえていました。今も石狩鮭は、北海道を代表するブランドのひとつです。
 ところで、昨年、今年とその石狩市内の縄文時代の遺跡からサケ漁の仕掛け<えり>が発見され、大騒ぎとなりました。というのもこの発見は、縄文時代初のことだったからです。日本では、縄文時代初め(約12000年前)からサケが食べられていたことは分かっていましたが、その捕獲方法となるとさっぱりでした。
? 遺跡は「石狩紅葉山49号遺跡」といい、石狩市花川の発寒川のほとりにあります。<えり>は、縄文時代中期末(約4000年前)のもので、幅5から10mの旧河川に複数、設置してありました。<えり>とは、漢字で「魚」偏に「入」と書き、魚を誘導してとる一種の罠のようなものです。
 今回見つかったものは、川の中に4、50cm間隔で、直径5cm前後で長さ150cm前後の杭で川底に打ち込み、サケの遡上をさえぎって一網打尽にしてしまうものです。杭はヤチダモやヤナギで作られています。もちろん、杭だけでは魚が逃げてしまうので杭と杭の間は、柴によって埋められていたものと考えられます。
 発見された複数の杭列は、同時に存在したのではなく、川の流れの変化にしたがって数年ごとに作り替えられていたものとみられます。また、杭列付近からはサケを丸ごと入れられる長さ1mを超えるハリギリ製の舟形の器、サケをすくいとった口径が80cm、全長180cmもある大型のタモ、夜間漁に使う松明など、漁に伴う木製品が出土しています。 そして、川を見下ろす砂丘の上には、見張り小屋かサケの加工場の可能性がある住居跡もみつかっています。
 この発見で注目されたのは、縄文時代初のほかに杭列の設置のしかたが、アイヌ民族に伝わったものとそっくりなことです。アイヌ民族は、テシ、ウライなどと呼ばれる同様な杭列や簗でサケをとめ、夜間に松明を灯し、突いたり、タモですくったりしてサケを捕っていたことが分かっています。また、その仕掛けは、流れがおだやかになる川が曲がる部分に設置されています。このことから、アイヌ文化のサケ漁のルーツは縄文時代にあるこということができるでしょう。
 さらに、出土した木製品のなかにサケを開きにし、干すために使用したと思われる木の串が出土しており注目されます。このことは、当時すでに、干しサケ(今でいうトバやアダチ)が作られていたことを証明するものといえます。おそらく、縄文人たちは開いて干したサケを冬に、乾燥させたウバユリの根や木の実などと一緒に土器で煮て食べていたものと思われます。
アイヌ人,サケ,漁 このように石狩紅葉山49号遺跡は、縄文人のサケ漁や加工どのように行なわれていたかが初めて明らかになった遺跡で、サケのふるさと北海道らしい文化遺産ということができるでしょう。調査は来年も継続されますが、さらに新しい発見が期待されます。

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●北海道人バックナンバー
野村崇「縄文への旅立ち」より
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/1105_03.html

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