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| 入江貝塚出土の貝輪(左がオオツタノハ製、右がイモガイ製) |
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有珠モシリ遺跡や北黄金貝塚などで有名な伊達市は、遺跡の連なる噴火湾を縄文街道と位置づけ、縄文のまちづくりを進めようとしている。今年7月には、多彩な催しを集めた「だて噴火湾縄文フェスタ」が開催された。 |
http://www.earthcape.ne.jp/
users/abuta/kaizuka/kaizuka.html
史跡入江貝塚
http://www.city.date.hokkaido.jp/
kouen/kouen/kaidukakouen.htm
伊達市北黄金貝塚公園
http://www.minaminippon.co.jp/
bunka/hayato/h2.htm
南日本新聞社 貝の道についての記事
縄文遺跡をまちづくりに活用するものとしては、
http://www.aomori-net.ne.jp/ ̄jomon/index.html
縄文都市連絡協議会がある。
縄文遺跡を有する都市のネットワーク化を図り、縄文の魅力・深さ・歴 史的意義を全国に PR するとともに、縄文の心や文化観を共有し、 まちづくりに活用するための方策を探ることを目的に設立。北海道からは函館市と伊達市が参加。
また、北海道渡島支庁では「縄文ロード形成推進連絡会議」
http://www.oshima.pref
.hokkaido.jp/ostssku/
joumon/kaigi/kaigi.html
を作り、管内の縄文遺跡を有機的に連携させ、地域文化の交流や地域振興を図る
ための「遺跡の郷・縄文ロード」の形成に取り組んでいる。
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噴火湾を北上する。
この湾を噴火湾= Volcano Bayと名づけたのは18世紀後半にここを訪れたイギリスの探検船、プロビデンス号船長のブロートンだった。
ブロートンは北海の男だったが、この湾には、はるか南海の夢がたどりついていた。
噴火湾の北、虻田町の入江貝塚から、沖縄以南の南の海でしかとれないオオツタノハ製の貝輪が見つかっているのである。
この貝輪は、装飾品として縄文人を美しく飾り立てたのだろう。あるいは精神的権威の象徴であったかもしれない。
この貝塚は入江貝塚公園として保存されており、貝塚の断面も見ることができる。
時代は少し下がるが、今から約1800年前の続縄文時代の遺跡である伊達市・有珠モシリ遺跡(*)からは、イモガイ、ベンケイガイなどの貝輪が大量に見つかっているが、これらも南海の貝である。はるか南の海の民が交易の旅の末にたどりついたのか、それとも列島を次々と交換されてわたり、ついには北の地の民を飾ったのか。想像力の翼は大きくはばたくのである。
北の縄文の旅は、縄文時代に<交易>のための海のネットワークが存在したことを、わたしたちに教えてくれる。そのネットワークが運んだものは、南の海の貝や、糸魚川のひすい、秋田のアスファルト、北海道各地の黒曜石、サハリンのコハク、専門的に作られた石器や土器などきわめて多様なものだった。その広がりも、列島の南北3千キロにとどまらず、北はシベリア大陸におよぶ長大なものである。
南の貝が生まれたさらに大洋の向こう、南洋諸島のバヌアツ共和国から縄文をもつ土器が出土したことがあった。
それが<交易>の道の果てかどうかはわからない。
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●写真提供/
北海道開拓記念館、北海道埋蔵文化財センター、戸井町、南茅部町、虻田町、兵庫県立人と自然の博物館
●協力/野村崇(北海道開拓の村学芸課長)
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