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  北海道人トップページへ   特集 北の縄文を旅する
      津軽海峡から噴火湾へ-縄文のクニと海のネットワーク
       
  アスファルト,遺跡
出土したアスファルトの塊
(磨光B遺跡)



アスファルト,遺跡
アスファルトが出土した状況
(磨光B遺跡)



遺跡,石器,写真
青竜刀形石器


遺跡,石皿
大船C遺跡から
大量に出土した石皿



遺跡,漆
世界最古の漆製品の出土状況

http://www.town.minamikayabe
.hokkaido.jp/i_main.shtml

南茅部町縄文の里
 
縄文ファクトリー-南茅部町の遺跡群
 戸井町から南茅部町へは、恵山のふもとを山越えして、さらに北へ向かう。
 道路のない昔は、舟で恵山岬をひと周りしたのだろう。
 この町で縄文の遺跡が見つかったのは、海岸段丘の上である。
 そこはまるで縄文遺跡のブロードウエイだった。町内にはなんと約90カ所の遺跡があり、出土した遺物は350万点以上にのぼる。
 南茅部町といえば、昆布のまちとしてあまりに有名である。南茅部町の尾札部昆布、白口浜真昆布というブランドは、関西では最高級品として取り引きされている。延々とつづく海岸段丘の下の海沿いの細長い土地に家々が軒を連ねる。どの家にも倉庫風の昆布の干場がある。
 かつて昆布は北前船に乗って上方に運ばれた。そしてそこから琉球や中国にまで至る。昆布の道があったように、縄文にも<交易>の道があった。




 アスファルトの話に戻ろう。
 わたしたちにとっては道路の舗装材として有名なアスファルトだが、当時の縄文人たちもたいへん重宝したらしい。たとえば割れた土器を修復したり、釣り針にみち糸を付けたり、鏃を矢に固定するときにも使われている。
 しかし、当時の天然アスファルトは、秋田県や新潟県などの石油鉱床地帯でしかとれなかった。アスファルトは、土器に入れられて、このような産地から運ばれたのだった。
 南茅部町の豊崎N遺跡からは、土器のなかにびっしりとつまったアスファルトがそのままのかたちで見つかった。このアスファルトは、分析の結果、秋田県昭和町槻木から運ばれたものとわかった。
 磨光B遺跡からの出土は、さらに想像力をかきたてるものだった。作業場と思われる建物跡のなかに炉のように掘られた穴の周りに二つの大きな固まりがセットされるように置かれていたのである。穴のなかでは火をたいた痕跡があったところから、この場所がアスファルトを熱で溶かしながら加工していた工房だったと考えられる。
 つまり、約3500年前、秋田から津軽海峡をこえてアスファルトの交易の路があったということと、おそらく希少で<高価>であっただろうそのアスファルトを加工した、専門的な工房と工人たちが存在したこと。それは狩猟採集による自給自足のムラという縄文のイメージを大きく変えてしまう。
 縄文工房<ファクトリー>という言葉を使うとすれば、もうひとつ町内の遺跡からは、「青竜刀形石器」が136点も出土している。他の遺跡では1、2点が通常だから、これも南茅部の<特産品>だった可能性がある。青龍刀型石器は、用途が不明で、おそらく祭祀に使われたのではないかと思われている。縄文人の精神文化とかかわるものだとすると、それが何故南茅部から多く見つかったのか、ひとつの謎だといえるだろう。



 海岸段丘の上に上がると、目の前には一面の海が広がる。ここに大船C遺跡の発掘現場と、出土品の仮設展示室がある。
 大船C遺跡は先日、国の史跡にも指定され保存が進められているが、大規模な集落であり、大型の竪穴住居が多い。大量のクジラの骨、オットセイやマグロなど、海の幸を存分に味わった跡も見つかっている。驚くのは、石皿が2000個も出土したことだ。展示室横に無造作に山積みされた石皿は、この遺跡の懐の大きさを物語っている。
土器,写真 南茅部町の遺跡については、特筆すべきことがまだある。1975年、町内の農家の婦人が畑のなかで見つけたひとつの土偶である。高さ40センチと大型で、しかも美しいフォルムを持つその土偶は、内部が空洞になっていることから中空大土偶と名づけられ、国の重要文化財に指定された。日本の縄文の美を代表する遺物といっていい。この土偶は、今年大英博物館でも展示され、人気を博した。
 そしてもうひとつ、今年、垣ノ島B遺跡で出土した縄文時代早期の漆製品が、放射線炭素による年代測定によって約9,000年前の副葬品であることがわかった。これは世界に例がない、文字通り世界最古の漆製品である。漆の肩当てなどと思われる出土品は、中空大土偶の文様を思い起こさせる。かくしてわたしたちの縄文イメージは、またまた修正されるのである。



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