北海道人・特集バックナンバー HOME バックナンバー一覧

  北海道人トップページへ特集
  縄文への旅立ち 野村崇














野村 崇 プロフィール縄文,時代,北海道,野村崇
北海道開拓の村学芸課長
1937年北海道長沼町生まれ。明治大学文学部卒業。道内各地で高校教員として勤務したのち、1969年より北海道開拓記念館に。主要著作に『日本の古代遺跡 北海道』(保育社)『北の考古学散歩』(北海道新聞社)。最新刊として『新北海道の古代(1)旧石器・縄文文化』(北海道新聞社)を共編している。北海道考古学の水先案内人として、司馬遼太郎の『街道を行く』シリーズにも登場している。
北の縄文 断想
豪華な縄文の墓-恵庭市カリンバ遺跡
 恵庭市の東側を流れる千歳川は、市西部の恵庭岳や漁岳などの山岳地帯から、漁(いざり)川、島松川、ルルマップ川、柏木川、茂漁川、ユカンボシ川などの小支流が注ぎ込む。これらの小河川の作った段丘が、大昔の人たちに恰好の生活空間を提供し、遺跡の集中地帯となっている。
縄文,時代,北海道,イメージ カリンバ3遺跡は、恵庭市黄金町のJR恵庭駅北方約800mの団地中央通りにある道路建設予定地内で、1999年と2000年に発掘が行われ、縄文時代後期後半(約3500年前)の豪華な副葬品を伴なった墓がたくさん発掘された遺跡として有名になった。ちなみに遺跡の名のカリンバとはアイヌ語で桜の木を意味し、その名を付した川が遺跡付近を流れていたことによる。本遺跡は、あまりにも重要な資料が出たため、将来に向けて保存することとなり、そのための調査が2001年度も行なわれている。ここでは、1999年度に発掘された縄文時代後期末(約3200年前)の墓と、そこから出た副葬品に的をしぼって説明する。
 まず、この年に発掘された、この時代の墓は35基を数え、その70%に漆製品や玉などが副葬されていた。墓の形は楕円形で、長径が1〜1.5m、短径が0.5〜1m、深さ0.3〜1mの規模のものが多い。遺体の埋葬方法は、副葬品と人の歯の位置から、西側に頭を置いて屈葬にしたと考えられる。大半の墓の底には、赤いベンガラが数センチの厚さでまかれていた。
 1999年11月、冬がまぢかにせまったため、第118号、119号、123号と名づけられた墓は、遺跡から切り取って樹脂で固め、埼玉県の(株)東都文化財研究所に移し、室内で遺物の保存処置を図りながら発掘が続けられた。その結果、多数の櫛や腕輪、腰飾りの紐、髪飾りの輪などの漆を利用した製品が出土して話題をよんだ。
縄文,時代,遺跡 カリンバ3遺跡の発掘が世に喧伝されたのは、第一にベンガラ(酸化鉄)や辰砂(硫化水銀)の赤と炭素の黒をさかんに使った漆塗りの製品がたくさん出土したことである。赤漆をかけた櫛や額、首、腕、胸、腰などに着ける飾り、帯などがたくさん出た。なかには黒漆をかけたものもある。櫛の赤漆は黒髪を引きたてることを縄文人も知っていたのであろう。その赤色も真紅、ピンク、オレンジの3色があり、それぞれ用途によって塗り分けているようである。それにしても大変な技術をカリンバ3遺跡の縄文人は持っていたのである。

4/4
<< 目次に戻る