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北海道人特集
手料理に腕を振るう高橋光江さん

手料理に腕を振るう高橋光江さん

[善意の輪、形をなす]

 04年に発足した「函館地区に自立援助ホームを立ち上げる会」は、翌春「青少年の自立を支える道南の会」に発展し、同夏にはホームとなる民家を確保することができた。
 ホームの拡充は国の施策で、補助制度も設けられている。だが、厚生労働省家庭福祉課によれば「自立援助ホームの形をとったもの」は全国に41カ所あり(2007年2月現在)、その多くが補助を受けているものの、統計上は「北海道は0件」ということになっているのだ。
 道内唯一のホーム「ふくろう」は、開設1年半を経た現在も補助の対象になっていない。運営をまかなうのは、一般市民や企業などからの浄財だ。現場を支えるのは、無報酬のボランティアスタッフたちだ。
 彼らは、「誰もがホームの必要性を感じてくれていた」と声を揃える。開設直前までに道内外から集まった賛同者は443人に上り、寄せられた浄財は約480万円に達していた。

スタッフ全員、公私ともに水魚の交わり=藤田さんの自宅、北斗市

スタッフ全員、公私ともに水魚の交わり=藤田さんの自宅、北斗市

[いつでも帰れる「家」に]

 05年10月、16歳(当時)と18歳(同)の少年2人が入居し、ふくろうの家の歴史は始まった。以後、断続的に数人が家族に加わり、それぞれの形でそこをあとにし、あるいは今も生活している。必ずしも幸福な巣立ちばかりではないが、子供たちが「いつでも帰ることのできる場所」を失うことはない。
 ホームを支える「親」たちがいるからだ。
 自称「フリーター」の高橋滋昭さんは、高等専門学校卒業後の職歴を「あまりにも多すぎて憶えていない」という。福祉や教育の世界とは無縁だったが、ホームではそれもマイナスとならない。児童自立支援施設の寮母を22年間務めた高橋光江さんは、「『やりがい』を考えたことがない」と言い、「何十年か経ってみんなが元気にやっててくれたら」と笑いながら淡々と台所仕事に精を出す。藤田さんの一声で協力を決意したという吉田義紀さんは、数年前まで地元高校の教壇に立っていた。「指導は容易。だけど、支援は『指導』じゃないんです。当人の自主自立こそが目的だから」と、自らに言い聞かせるように語り、すべての事例に体当たりで取り組み続ける。
 「資格や経歴は二の次。意気の問題です」と、舵取りの藤田さんは言う。
 「いろんな人がかかわってくれるから、面白い。たいへんだけど、面白い。それは、子供らにも伝わるんです」
 言うまでもなく、現場は常に穏やかなわけではない。
 みつけた仕事を3日間で辞めて去った子がいた。入居当日の夕餉前に故郷に帰っていった子がいた。不幸なトラブルを起こして司法施設に移った子がいた。もちろん、辛い境遇をばねに発奮し、早期の就職を果たして自立生活を始めた子もいる。どのケースも“前例”とはならず、一人ひとりが全うな―時にいささか強烈な―個性を発揮し続けた。
 「みんな『家族』です。何はなくとも、帰ってくる家がここにある。一度独立した子がまた“戻ってくる”ことがあっても、変わらず迎え入れて、やり直しを手伝ってあげることができる。そういう『家庭』をつくっていきたいんです」
 ここ、おれんち――。
 ホームを守る8人の職員たちは、子供たち全員がそう言ってくれることを願っている。

賛同者・庭山啓子さん作のふくろう像とホーム長・安藤幸紀さん提供のシャクナゲの枝が“表札”

賛同者・庭山啓子さん作のふくろう像とホーム長・安藤幸紀さん提供のシャクナゲの枝が“表札”

 かの夜鳥は、羽音をほとんど立てずに広い森林を飛翔するという。闇にいてなお樹々を縫い自在に宙を往く力は、生まれながらに持ち合わせているらしい。だがもちろん、力を発揮するのは巣立ちが訪れてからのことだ。
 寡黙な“森の賢者”とて、その時までは「家」で育つ。

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