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北海道人特集

「巣立ちの日まで」−函館・自立支援ホーム「ふくろうの家」の物語

文・写真/小笠原 淳

2005年10月に船出した「ふくろうの家」=函館市若松町

2005年10月に船出した「ふくろうの家」=函館市若松町

[家、生まれる]

 函館市の古い住宅街、狭い小路に面した民家にフクロウをあしらった表札が掲げられたのは、2005年夏のことだった。
 そこが北海道内唯一の「自立援助ホーム」であることを知る人は、市内にもあまりいないだろう。自立援助ホームという名前そのものが、多くの人たちの耳にまだ馴染んでいない。誰が「自立」し、誰が「援助」するのか。
 児童福祉施設などを利用できず、保護者に虐待などを受けている、あるいはその保護者すらいない少年たちには、“自分の家”がない。義務教育を受けている期間は児童福祉法などの保護下におかれるが、年齢が15歳を超えると福祉施設を利用できなくなることがあるのだ。家のない状態で高等教育を受けたり職を得たりすることがいかに困難かは、誰もが容易に想像できるだろう。
 そうした少年たちと、同じ屋根の下で過ごしている人たちがいる。そうした少年たちが自らの力で独立を果たす日まで、その生活を援助している人たちがいる。フクロウの表札を掲げる民家は、そんな人たちがつくり上げた家のひとつだ。
 民家は、表札が語る通りの名で「ふくろうの家」と呼ばれる。

運営母体の代表を務める藤田俊二さんは、さまざまな立場の少年たちとかかわり続けて40年以上になる

運営母体の代表を務める藤田俊二さんは、さまざまな立場の少年たちとかかわり続けて40年以上になる

[必要だから、つくる]

 児童福祉法で児童自立生活援助事業(自立援助ホーム)が法定化されたのは、つい最近のことだ。条文にその事業名が盛り込まれた1998年当時、藤田俊二さんは故郷・渡島管内大野町(現北斗市)の教育委員会に奉職していた。
 「『2種施設』といって、必ず設置しなきゃならないもんではないんです。しかし、だからといって不要であるということにはならない」と説明する藤田さんは、これまでさまざまな事情を抱える少年たちとかかわってきた。古稀を過ぎてからまた一仕事を手がけることになるとは、現場を知ったばかりの40余年前には想像もつかなかったに違いない。
 藤田さんはかつて、網走管内遠軽町の「北海道家庭学校」の寮父を長く務めていた。当時の少年たちとの交流の記録は、40歳代半ばでまとめた著書『もうひとつの少年期』(晩聲社、1979)に詳しい。
 「私はともかく、今頑張ってくれている職員の皆さんがいなかったら、ホームは実現しなかった。実践する人たちがいるから、救いがあるんです」
 函館市でそのプロジェクトが船出したのは、2004年春のことだった。

個室・相部屋を合わせて計5人が生活できる

個室・相部屋を合わせて計5人が生活できる

[少年たちは、どこへ]

 自立援助ホームは、いわゆる福祉施設ではない。
 たとえば、施設に入所していた少年に養親などの保護者がみつかり、退所して高校に進学したとする。この少年が高校を中退し、それが原因で保護者に家族関係を解消されてしまった場合、現行法では少年は施設に戻ることができない。また、就職を機に施設を退所したのち、なんらかの事情で仕事を辞して無職となり、やはり保護者との関係を失った場合も、施設への再入所は許されない。
 そうした少年たちは、家を失うのだ。
 現場をよく知る藤田さんは「皮肉なことに、犯罪や非行に走ってしまった少年なら、少年院などの司法施設が面倒をみてくれる」と説明する。
 「しかし、『まだ何もしていない少年』に保護者がなく、施設へも入所できなかったら、その子は『まだ何もしていないがために』家のない生活を強いられることになるんです」

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