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北海道人インタビュー 連載3   北の地に書人あり。その名を雅山房。不易流行に生きる。 現代書家 樋口雅山房さん
書道,筆,文章
構成・分/円子幸男  写真/酒井広司
北の地に書人あり。その名を雅山房。不易流行に生きる。 現代書家 樋口雅山房さん
プロフィール,樋口雅山房
   
書道,筆,樋口雅山房

書道,筆,「いのちの躍動」にふれる
 予想以上の重さに思わずたじろぐ。
 直径20センチメートルほどに束ねられた馬の毛でできた巨大な筆。その筆を持ち上げてみたら、ざっと10キログラムはある。こんなに重いとは!
 それだけで十分重い筆なのに、これに木工ボンドと油煙煤で作った墨をたっぷり含ませ、雅山房さんは大きな画仙紙に向かう。そして墨痕も鮮やかに一気呵成に書き上げる。それはまさに体の奥から湧出してやまない「いのちのリズム」「いのちの躍動」が、白い紙にたたきつけられ、定着する瞬間でもある。

 「書いていて、筆の繊維が人間の筋肉繊維の延長に感じられるときがある。筆は人間の内面を表現する手段として芸術的にひじょうに長けたものの一つなんだなぁと」
 その筆一本の入手さえままならなかった地点から雅山房さんの書道人生は出発する。
 書道を習い始めたのは1948年、小学1年のとき。学校の先生が習字をやりたい子供を集め、放課後、手ほどきしてくれた。とはいえ、戦後まもなくのことゆえ、はじめは筆一本にもこと欠き、ホウキ状のものに水をつけて黒板に書いた。
 最初に書いた字も「いも」と、いかにも食料難の時代をしのばせる。冬に寒い教室で墨をすっていると、硯の水の表面全体に薄く氷が張った。「その氷をつけたまま書いたりしてね」と懐かしそうに笑う。

 やがてその先生が開いた近所の書道教室へ通い始め、めきめき腕をあげていく。そんな彼に、ある衝撃が走ったのは中学2年のとき。自身も入賞した北海道の子供対象の書道展で目にした一群の書。それはさながら雑巾で書いたかのような作品で、これまで自分のやってきた、字形の整った先生の手本を忠実になぞる習字とはまるで別ものだった。
 「全然かなわないなぁ」
 書かれている字そのものよりも、むしろその背後にある指導の中身がすごいと思った。きっと教えている人に何かがある!――直観でそう察した少年だが、やがて進学する札幌東高校で、よもやその書を指導した当の本人に師事することになろうとは、このときは夢にも思わぬことだった。
 加納守拙。「現代書の父」といわれる比田井天来らに直接教えを受け、当時、北海道における革新的な書のリーダーとして活躍していた。また、従来のお手本主義の書道を批判し、子供の心と体の発達に見合った書道教育を提唱し実践した教育者でもある。まさしく「何かがある」指導者だった。

 雅山房さんが高校で初めて受けた書道の授業でのこと。加納は黒板に「森羅万象悉師」と書き、「『シンラバンショウ、コトゴトクシ』だ。あの山を見よ。あの草を見よ。この意味が分かったら今日の授業は終わりだ」と言うなり教室を出ていってしまった。まるで禅問答だが、書の根本には東洋の哲学がある、というのが加納の考えだった。
 時を同じくして、書の前衛派によって1952年に京都で結成された墨人会からも大きな影響を受けた。書はいのちの躍動である、生き方のかたちである、己れを筆一本に託して表現すべし、というメッセージは新鮮で、王羲之などの古典の臨書に明け暮れる一方で、戦後勃興したこの新しい潮流に、若くしなやかな心はどんどん魅了されていく。
 かくて1960年の大学進学を機に住み始めた東京で、雅山房さんの才能は大きく開花する。雪に埋もれた北国育ちのタネが、現代書という土壌を得て一気に花開くのだ。

書道,筆



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