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イメージ 北海道新移民ものがたり
自然,北海道,メッセージ
自分を元気にしてくれた北海道の空や丘、そして風。そのパワーはきっと他の人にも、意味のあるものだと思います。
自然,北海道,竹川征次
 1943年、愛知県生まれ。工学院大学を卒業後、会社勤めを経て友人とシンクタンク会社を設立。地域開発や商品開発で手腕を発揮するが96年、奥様が急逝されたのを機に自立して生き直すことを決意。会社を整理縮小し、99年美瑛町へ移住。02年3月、自宅を兼ねた『丘の上の小さな美術館』をオープンさせた。株式会社ドゥタンク・ダイナックス代表取締役。一男二女は東京在住。
  ――竹川さんは東京でシンクタンク会社を経営されていましたが、当時から北海道との関わりはあったのですか。

 仕事の性格上、東京だけでなくさまざまな地域の事業に携わることが多いのですが、北海道とは20年以上前からのお付合いですね。例えば北海道開発庁の地域開発や一村一品運動、大手食品メーカーの地場子会社における戦略ブランド開発など。
 また北海道の方が地元でシンクタンクを立ち上げる際には微力ながら応援し、そうした活動を通しても多くの友人や知人ができました。

  ――時代の先端、そして大都会で活躍されていた竹川さんが、北海道へ移られたきっかけを教えてください。


自然,北海道,竹川征次  96年の夏、長男が結婚する前に家族で旅行にでかけたのですが、そのとき妻が事故で亡くなりました。彼女は小学校の先生をしており、夏休みにもかかわらず1,000人近い方が参列に来てくださったんです。それだけ多くの方に慕われていた彼女。夫婦でありながら、自分の知らない一人の人間がそこにいたんです。
 今まで当たり前のようにあった関係が突然断ち切られたことで、「夫婦や家族とは何だろうと」と改めて考えるようになりました。そして痛感したのが、日頃どんなに妻に守られて生活してきたかということです。家のなかのことは何もできない、分からない。ある日、二女が味噌汁を作ってくれたんですが、妻の味とは違う哀しさから「何だこれは!」となじってしまったんです。その時、「このままじゃ親子の絆まで崩れてしまう。今の自分を捨てて自立しよう」と思いました。

 その手始めとして会社の縮小整理を行っていたところ、今度は自分が大腸がんに。ますます都会を離れ、自然のなかで暮らしたいという想いが強まりました。自然には、人に埋められない哀しさを、黙って受け入れてくれる大きさがありますから。

  ――そしてその再出発の地が、美瑛町だったんですね。


イメージ  友人たちが関東近郊や新潟、道内など10カ所以上を紹介してくれました。そのなかで「ここなら住めるかも」と感じたのが美瑛です。丘の作物は成長しても腰の丈ですし、見晴らしが良いので道に迷うこともない。空が大きくて明るく、風が渡る爽やかな雰囲気も気に入りました。なにせ自然と向き合う知恵などない素人。ここなら悲壮な心構えがなくても、暮らせるのではと思ったんです。

 ところがそんな甘い考えは、最初の冬で見事に打ち砕かれました(笑)。−30℃の寒さ、除雪の雪の重さ…。ダイヤモンドダストの美しさに思わず外に飛び出て、息が止まりそうになったことも。それでも壮麗な夕陽の色彩、その後に訪れる群青色のひと時、そして魂が吸い込まれるような月の光。
 自然と一体になることで、都会では見過ごしていた別の自分に光を当てることができました。計画や効率にこだわらず、今日一日頑張ったことを良しとする、新しい自分が生まれたような気がします。

自然,北海道,美術館看板 この美術館は当初、移り住んだ99年中に完成予定だったんですが、建設業者に工事費用を持ち逃げされてしまいました。残ったのは基礎工事の終わった床と、数本の柱。それを見て憎しみや悔いよりも、「自分で作ってみよう」と気持ちが先に立ったんです。これまで頭で仕事をしてきましたが、今度は体を使ってモノを作ろうと。

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