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イメージ 北海道新移民ものがたり
北海道,農業,メッセージ
20年前、あこがれの北海道に来たときは自分が酪農家になると思ってもみませんでした。
北海道,農業,海野泰彦
1960年大阪府生まれ、高校卒業まで大阪で過ごし、大学進学の際に「北海道へ行こう」と思いたち帯広の大学へ。卒業後も北海道に住むことを第一に考え、農協職員として忠類村で和牛の繁殖・育成にたずさわる。その後独立を決意し、当時から新規就農の受け入れに積極的だった浜中町に酪農家として入植。牧場を始めて15年、着実に夢を実現している。
  ――なぜ北海道に来ようと思ったのですか。

 そうですね、簡単にいうと「あこがれ」です。20年前、大阪に住んでいた僕にとって、北海道はもう外国のような場所でした。広くて自然が豊かで、すごく面白そうだと思ったのです。実はその前年に大阪の大学受験に失敗して、次はどうしようかと考えたんですよ。そのとき、初めて北海道のことを思いついたんです。それまでは自分が大阪を出るなんて想像もしていなかったんですけれど。でも、もともと自然が好きだったこともあって、決心して帯広畜産大学を受験しました。


  ――ご家族の反対はありませんでしたか。

 すごくありました(笑)。大反対です。僕は三人兄弟の末っ子ですが、上の二人と歳がはなれているせいか一人っ子のように育ちました。そのせいで余計に心配されたのかもしれません。母親は3カ月間、口を聞いてくれませんでしたよ。


  ――実際に来てみて、北海道の印象はどうでしたか。

北海道,農業 想像していた通りでした。とくに最初に住んだのが十勝でしたからね。もし大学が札幌や道南のほうにあったら、またちがっていたかもしれませんね。
 学生の間は山登りや釣りをしながら北海道中を歩きました。地元の山岳部に入って、道内の山はこのころ全部登ったと思います。そこでますます北海道の広大な風景と、北海道の人たちの優しくて素朴な人柄に魅せられたんです。
 ちゃんと勉強もしましたよ。酪農学科に入って、夏は牧場実習で朝から晩までクタクタになるまで働きました。


  ――そのころから、将来は酪農をと思っていたのですか。

 いいえ、全く逆です。実習に行って、「こんなに辛い仕事は自分には絶対にできない」と思ったんです。朝早くから夜遅くまで、牛舎にいる牛たちの周りを人間が駆け回って世話をする。本当にたいへんな仕事です。それを当時の酪農家の人たちは、長年の勘と経験でこなしていたんですね。僕にはもちろん経験がないし、土地も資金もない。よそ者が突然やって来て、できる仕事ではないと思いました。


  ――ではどうして、いまの海野さんがあるのでしょう。

北海道,農業,牛 学校を出てから、なんとか北海道に残りたいと思ったので、こちらでできる仕事を探したんです。ちょうど滋賀県の農協が北海道勤務の職員を募集していたので、そこに就職して、忠類村の牧場で2年間、200頭の和牛の管理を任されました。そこは広い牧草地があって、飼料の刈り取りから全部自分でやりましたし、農機具の操作を覚えたのもこの時です。牛の世話も―肉牛ですから搾乳はありませんでしたけど、いまやっている仕事はほとんどここで経験しました。いい勉強になりましたよ。

 ただ、仕事は覚えたのですが、1年たったころから次第に物足りなくなってきたんです。どんなにがんばっても所詮は人の牛だし、毎日同じことの繰り返しです。休みの日だけを心待ちにするサラリーマン、という感じでした。
 このままで終わるのは面白くない、せっかく北海道で仕事をするのなら、自分で農業をやろうと思ったんです。それで、いろいろ情報を集めながら準備を始めました。そのときに、試験的に開始されていた農業開発公社の「リース制度」という制度を知りました。離農した農家の土地を借りられる仕組みです。初期投資も少なく、農業者の資格も得られます。これでやってみようと思いました。

 それからもうひとつ、大きな出会いがありました。「フリーストール」という牛の飼い方です。これはアメリカで進んでいた方式で、日本ではまだ珍しく、先進的な酪農家が数軒取り入れていただけでした。でも、従来の飼い方とは全く違っていて「やるならこれだ!」と思ったんですよ。


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