HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第13回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第13回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■089『憲法を学び教えるという人生に悔いはなし』

結城洋一郎さん(60)=小樽商科大学教授、山形市出身、小樽市在住

 ―専門はどういった分野なのですか。
 憲法です。今年還暦ですが憲法を学び教えるという人生に対しては非常に満足しているし、そういう環境で生きられたことに感謝していますね。
 ―いいですね。
 今の日本には、自分の人生を豊かなものとして感じられない人もいると思う。本人だけのせい、という場合は少ないんじゃないかな。多くの人が「俺の人生もそんなに悪いものじゃなかった」と死んでいけるような社会だったらいいな、と思っているんです。
 ―それで憲法を選ばれた。
 やはり法律や国家の問題が大きいと思っているからね。法律に関わるということは社会システムについて考えることだから。それに父も大学で憲法を教えていたし、祖父の一人は農村歌人で一人は弁護士。家庭環境の影響かもしれないね。

(楢戸ひかる)

■090『娘の彼氏、まず殺す』

夏井功さん(39)=介護事業所職員、東京都千代田区出身、札幌市在住

 ―父親の記憶ってあるの?
 3歳までは家にいたから、おぼろげには憶えてる。その後、母親と離婚してからはほとんど会ってないけど。今、養父とはいえ父親はいるし、敢えて実父に会いたいとは思わないね。連絡先知ってるけど、わざわざこっちから呼ぶ理由はないよ。まずは向こうが親らしいことするのが先でしょ。向こうから連絡あったら、その時に考える。会うかもしれないし、会わないかもしれない。
 ―自分自身が父親になった感想はどう?
 娘が産まれたばっかりの時に病院で抱いた瞬間、来たね。「あ、繋がった」っていう感覚。かっぱえびせんの切れ端みたいな指で、おれのシャツの裾掴んでるんだ。その時、繋がった。…自分の脳性麻痺のこと考えると、今みたいな生活できるのもあと5、6年だろう。もしもその間に娘が男連れてきたら、まずそいつを殺すね。おれの眼の黒いうちは、殺す。どこにもやらない。

(小笠原 淳)

■091『仕事とは、こういうものと教えてくれました』

植田収さん(49)=グラフィックデザイナー、芦別市出身、札幌市在住

 ―広告関係の企画・制作をなさっていて感じることは。
 ディレクターを務めているので、常にいろんな職業の人と接しています。ものづくりをするなかで、いろんな人に助けられ、“商売”としてやっていけてるんだと、しみじみ思います。おやじが氷菓とラーメンの店をやっていて、小学生のころから手伝っていた経験も生きていると思います。
 ―どんな手伝いをしたのですか。
 おやじは和菓子職人でソフトクリームも自家製だったから、軟らかく練り上げる仕事もしましたし、店にも出、かき氷やラーメンの出前も……。お祭りは店のかき入れ時だから見物にも行けず、子どもごころにそれが不満でした。
 ―お父さんは仕事一筋だったんですね。
 朝早くから晩遅くまで働き詰め。納得のいくものができなければ捨ててしまう厳しさがあり、ラーメンは師匠に学んだ“しょうゆ”しか出しませんでした。「40代半ばで初めて海を見た」という話を聞いたときは、胸が痛かったです。

(道産ヨネ)

■092『テレビ塔50周年ですぞ』

テレビ父さんさん(50)=営業職、札幌市出身、札幌市在住

 ―ご自身が「父さん」と呼ばれてますが、お父さんの思い出などは。
 ふっふっふ。それは秘密。そんなことよりも腹が減りましたな。札幌名物とうきび屋台で焼きとうきびなどいかがか。
 ―テレビ父さんの父さん、ということは「テレビじいさん」…。
 ふっふっふ。それは秘密。そんなことよりも腹が減りましたな。そのへんのお店で札幌名物ジンギスカンなどいかがか。
 ―北海道に移住したのは「テレビひいじいさん」ぐらいのころですか。
 ふっふっふ。それは秘密。そんなことよりも…。
 ―腹が減りましたか。
 いや、もう満腹。そんなことより今年はさっぽろテレビ塔50周年ですぞ。私いちおう営業課主任ですから、ここでPRさせていただかないと。ええと、誕生日は昭和32年8月24日。身長147.2m、体重1000t以上。好きな街は札幌とミュンヘン。…あ、これじゃあ私の自己紹介ですな。失敬、失敬。

 

(小笠原 淳)

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