HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第42回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第42回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■203『働く父を見て身に付いた自営業的思考』

加茂昭造さん(26)=会社員、北見市出身、江別市在住

 ─お父さんはどんな方なんですか?
 厳しかったですね。小中学生の頃の門限は夏6時、冬5時。クラスの中で誰よりも早く家に帰らなきゃならない(笑)。そして、父はなんでもそつなくこなす。母が病気になって家事一切を受け持つことになっても、逆に母よりうまくつくる料理があったりして。こんなふうに言うと「スーパーお父さん」みたいですけど、実際そうなんです。
 ─お父さんとお母さんはご自宅で理容室を営まれているそうですね?
 はい。小さい頃から自営業の働き方を見て育ってきたので、勤め人の生活というものがちょっとわからなくて。例えば、ボーナスっていうのは臨時的な特別手当のはずなのに、それをもらえることが前提になっているなんておかしいですよね? 残業に対する感覚とかもなんだかみんなと違う。大学時代の就職活動のときは少し違和感がありました。
 ─堅実な金銭感覚が身に付いた?
 大きめの買い物をするにしても、ローンを組むより、ある程度貯めてから……と考えます。ぼくは勤め人ですけど、先月と同じ収入が今月もあるとは限らないという自営業の思考なんですね。

(鶴見裕子)

■204『不正やずるいことが嫌いだった』

藤田厚子さん(60)=「珈琲舎ちんちら」経営、芦別市出身、札幌市在住

 ―お父さんは炭鉱マンだったんですね。
 三井芦別炭鉱で40年間ずっと働いていました。後半は炭鉱の保安関係の仕事をして55歳で退職しました。
 ―危険な仕事だと思いますが、その姿をずっと見てきた。
 直接はわからないんです。朝、いってらっしゃいって言って、帰ってきたときにはお風呂に入ってキレイな顔して帰ってくるから。でも危険と言えば、足が岩の下になってつぶれて、2本ぐらい指先がなかったですね。私が「どうして指がないの」とたずねると、「お前が食ったんだ」とふざけて言ってました(笑)。
 ―お父さんはユニークな方だったんですか?
 やさしい父だったと思います。自分が飲んで帰ってくるときには必ずバナナやお寿司を買ってきてくれました。いつも家族のことを思ってくれていたんじゃないかな。でも、がんこなところもあって、囲碁クラブで「まった」を何度もかけられて碁盤をひっくり返したり、パークゴルフでは不正があると、ずけずけ言っちゃってたんですって。けむたがられていたみたい。
 ―似ていると思いますか?
 たしかに私もずるい人が嫌いだし……、そうなっちゃったわね。

(杉本真沙彌)

■205『厳しかったけど、今はありがたいね』

スティーブ・ザムブーニさん(34)=「Buni deco工房」木工アーティスト、イギリス・ホーシャム出身、札幌市在住

 ─お父さんはどんな方ですか?
 とっても厳しかった。おじいさんがギリシャ人で、お父さんを厳しく育てたから。嘘がばれておしりを叩かれたり、夕方6時までに帰ってこないと怒られたり。テレビを遅くまで観るのもダメで、Michael Jacksonの「Thriller」は禁止。あと、長電話もダメ。お父さんはケチだね(笑)。荷物を詰めたバッグをいつも用意してて、何度も家を出ては戻って……。Teenagerだったから(笑)。80年代は会社に勤めてはつぶれるの繰り返しで、お父さんにはきっとストレスもあった。厳しかったけど、今は「ありがたい」と思うね。
 ─お父さんのお仕事は?
 60年代はラグビーの選手として有名だったけど、その頃はプロがなかったからエンジニアになった。家のものはなんでも自分で作ったり直したりしてたね。
 ─木工アーティストとして活躍されているのはお父さん譲り?
 そう、そうかも。この間イギリスへ帰ったとき、日本で頑張ってることをとても喜んでくれたね。ソラ(ペットのゴールデンレトリーバー)に厳しいのもお父さん譲り?(笑)

(鶴見裕子)

■206『十勝の自然をたくさん見せてくれた父』

横山和美さん(51)=キリムギャラリー「ペケレット」店長、十勝管内清水町出身、札幌市在住

 ─和美さんと同じくお父さんもひとつのことを追究するタイプだとか?
 ええ、定年前は十勝でビートや飼料の品種改良の仕事をしていました。退職後も腰を痛めるまでは何百鉢も盆栽を育てたり。でも、家庭では、子どもに文句があっても直接言わないで母親を通じて伝えるような、昔のお父さんタイプでしたね。
 ─では、お父さんとの交流はあまりなかったほう?
 いえいえ。子ども時代は男の子っぽい扱いで、野山に連れ出されてました。父のバイクの後ろに乗せられて農家を回ったり、大雨の後に増水で下流の川岸まで流されてきた十勝石を探せと言われ、リュックいっぱいに詰め込んだり。ものすごく重かった(笑)。でも、その体験が今の仕事に活きている気もします。からだで自然を学んできたので、遊牧民のキリムに織り込まれている自然の造形をぱっと読み取ることができるんです。
 ─キリムやじゅうたんの販売や修復のお仕事をお父さんは何と?
 応援してくれています。今、体調がよくなくて介護保険や老人ホームのことを話したりするんですが、そんな話を父から聞き出せる年齢になったんですよね、私。両親の近くにいられるのは、北海道に戻ってお店を出したから。早期退職してくれた夫に感謝です。

(鶴見裕子)

このページの先頭へ