HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第41回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第41回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■199『仕事と父親業の両立は難しそう』

島明子さん(26)=NPO法人スタッフ、札幌市出身、札幌市在住

 ─お勤め先は、障がいのある方々と一緒に働く共働事業所ですね。
 札幌・障害者活動支援センターライフの中で編集・印刷事業を担当している「共働事業所もじや」が職場です。下の兄が自閉症で、障がい者福祉には以前から興味があり、臨時職員の契約が切れたのをきっかけに転職しました。
 ─お父さんはお医者さんですが、転職に対してアドバイスなどは?
 父はいつも私を信じてくれて、「やりたいようにやってごらん」と言ってくれます。転職でもこの言葉が一番のアドバイスになりました。ただ、仕事人間の父は兄のことも家のことも母任せ。兄の障がいに対しては、正面から向き合ってほしいんですけどね。
 ─ということは、家庭でのお父さんの存在感は薄い?
 仕事では患者さんには慕われていますし、神経難病のネットワークを立ち上げたりと、先陣を切って進むところは私も尊敬しています。父親としても、ものすごくマイペースですけど、優しくて頼りになる。仕事と父親業の両立が器用にできないタイプなんだと思いますね。

(鶴見裕子)

■200『時代の荒波の中で生きた』

金山善之さん(61)=無職、小樽市出身、札幌市在住

 ―藻岩山登山をされているんですね。
 退職するまではストレス解消のためにということもありましたが、いまは登ることそれ自体が楽しいですね。
 ―お父さんは樺太から引き上げてきたとか。
 戦後、家族を連れて引き上げてきました。しばらくの間、小樽の妙見市場あたりの路上で野菜を売って生活費を稼いでいたと聞いています。機会があって公務員になりましたが、持病があったためか58歳で亡くなりました。時代の荒波と病気で、父は自分の思うように生きていくことができなかったのではないかと思います。父は読書好きでしたが、身体が弱かったのでスポーツなどを楽しむことはありませんでした。私が身体を動かすことが好きなのは、父がうながしてくれたからだと思います。
 ―お父さんの思い出は?
 酒好きで、酔っ払うとマンドリンを弾きながら『国境の町』などを歌っていました。私もギターを弾いて一緒に歌ったものです。酔うと大胆になることもあり、披露宴の挨拶が長いと「そのへんでもう止めないか」なんて大声を出したり……冷や冷やしたものです。

(杉本真沙彌)

■201『貧しかったけれど心豊かだった時代』

斉数久子さん(85)=無職、札幌市出身、札幌市在住

 ―お父さんは商売をされていた?
 昔はサラリーマンなんて珍しくて、みんな商売をするんです。父も愛知県から親戚を頼って北海道に来たけれど、それが間違いの元(笑)。第一次世界大戦後に景気が良くって独立したけれど、関東大震災後は不景気ですっかりだめになってね。その後に始めた織物の製造・販売も儲けがあまりなくて。母はたいした苦労をしたと思いますよ。
 ―では、子ども時代は大変だったのでは?
 あの頃はみんな貧乏だから気にならないのよ。でも、うちには文学全集とか本がたくさんあってね。あの不景気の中、父はよく買ったと思いますよ。そして、手稲山とか野幌原始林とか、当時はまだ知る人のあまりいない素敵な場所を見つけてきては、私たちを連れて行ってくれたんです。おにぎりを持って、いろいろなところに行けて楽しかったわね。
 ―その世代の方々が苦労して北海道の土台を築いてくれました。
 道内各地に入植したクリスチャンの人たちの活躍も素晴らしかったですよ。浦河の赤心社、帯広の晩成社、北見の北光社……。私は祖父の代からクリスチャンで、祖父も希望に燃えて北海道に来た人だから、理想郷を求めた彼らの志や思いがわかるの。

(鶴見裕子)

■202『おやじは素晴らしい自由人』

櫻井孝治さん(52)=広島風お好み焼き「Pick up!」店主、札幌市出身、札幌市在住

 ―お父さんは現在92歳だそうですね?
 ガンが見つかったんですけど、まだまだ元気です。同居でもかまどは別々で、食事の支度やら買い物やら自分でできることは自分でやってますよ。さすがに長い距離を歩いたりするのは体力的に辛いから、遠出の買い物や用足しとかは俺らに頼むんですけどね。
 ―その元気の源は何でしょう?
 好きなことをやって、ストレスをつくらないようにしてきたからかな。骨董好きなおやじは、中でも刀剣にはまっていて、おふくろが嫌がっても、日本美術刀剣保存協会の北海道支部をつくっちゃうほどのめり込んでね。軍刀の目利きとして自衛隊に呼ばれたこともあったくらい。刀剣の勉強に、組織の運営と、しなくちゃならないことがたくさんあるから、会社を退職した後もボケとは無縁。今は支部の役職から退いているけど、若い世代の愛好家たちが訪ねてきたりもするから、ボケてられないんでしょうね。
 ―ご自身のできる範囲で、やりたいことをやり続けているわけですね。
 ホント自由人。俺もそうだけど(笑)。おやじの暮らし方を見てきたから、道をよろよろ歩くおばあちゃんにも、「手伝わなきゃ」じゃなく「がんばれよ」と思うようになりましたよ。

(鶴見裕子)

このページの先頭へ