HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第17回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第17回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■105『医者の家だけど貧乏だった』

比嘉秀郎さん(56)=デザイン会社社長、登別市出身、札幌市在住

 ―お父さんは現役時代、医師だったんですね。
 大学を卒業後、軍医として中国や東南アジアに行って、負傷者の手当てをしていました。ピストルも持っていたみたいで、僕が「撃ったのか」と聞くと、「一回だけ撃った。カラスを撃ったけど当たらなかった」と。
 ―日本に戻ってきてからは?
 札幌の市立助産所の所長をしていました。40年前位のことかなぁ、その頃の出産費用は6000円位。払えない人もいて、でも生まなきゃいけないということで、面倒をみてました。赤ちゃんの着るものがないと、僕のお下がりを着せてたこともあったそうです。医者の家だけど本当に貧乏だった。住んでいた官舎はボロボロだったし。
 ―お父さんの姿はどう映っていましたか。
 家ではいつも本を読むか書き物をしていた。本以外のものは要らないと言っていたね。おやじが寝ているときに、母さんがそっと採寸して、服や靴をあつらえていたよ。起きているときだと「いらない」って怒るから。

(杉本真沙彌)

■106『絶対、確実なモーニングコール』

小島留美さん(24)=ネイリスト、後志管内岩内町出身、札幌市在住

 ―札幌市中央区にネイルサロンを開いて3年。心掛けていることは。
 ネイルサロンを気軽に利用していただきたいので、「もっとカジュアルに!」と提案しています。ネイルアートのテーマを「キレイ」だけでなく、「カワイイ」とか「カッコイイ」とか、TPOや洋服に合わせて変化させると楽しさが増します。また、クリエーターとしてオリジナリティーも大切にしています。
 ―キュートでおしゃれなサロンですが、お父さんの感想は。
 一言、「いいんじゃないのか」(笑)。口数は少ないけれど、すごくマメな人で、母が忙しいときは掃除とかしてくれるし、朝まるで弱い私がモーニングコールを頼めば、言った時間きっかりに実家から電話をかけてくれます。
 ―どんなときにモーニングコールを頼むのですか。
 出張や朝早い仕事が入ったときですね。第一声の「起きろよ」に続いて二言三言話すんですけど、普段、父と電話で話すことなんてほとんどないですから、モーニングコールが貴重なコミュニケーション手段になってます(笑)。

(道産ヨネ)

■107『仕事一筋を卒業しろ! との声が聞こえるよう』

岩見太市さん(66)=NPO法人代表、京都市出身、札幌市在住

 ―NPO法人シーズネットは、どのような活動をしているのですか。
 中高年が、依存型ではなしに自立型で生きるための人生設計を、自分たちで描く活動をしています。
 ―講演だけでも月20本以上。執筆、大学の非常勤講師とご多忙ですね。
 現役時代と同じようなサイクルで過ごしていたら、昨年から今年にかけて、急に動悸がしたり声が出なくなったりしたんです。おやじが心不全でぽっくりいってますし、健康には自信を持っていたので、精神的なショックが大きかったですね。仕事から離れられる場所を探し出すのが、今年の目標です。
 ―お父さんは、どのような方だったのですか。
 無口でしたから日常的な会話はありませんでした。だけど、長男の僕が脱サラして京都を離れるとき、唯一、賛成してくれたのがおやじでした。僕の祖母は、実家である岩見の家を絶やさないために離婚してまで戻ったのですが、京都ではそれぐらい家が大切で、担うのは本来、長男です。弟に家をみてもらう形で話はついていますが、「シーズネット京都」へ行くたびに、おやじの墓参りをしています。それも精神的ストレスになっているのかもしれません(苦笑)。

(道産ヨネ)

■108『父さんは何者だったんだろう』

水谷のぼるさん(64)=彫刻家、札幌市出身、小樽市在住

 ―お父さん、水谷次郎さんは北海道の薬草栽培・研究の第一人者だとか。
 白滝村で生まれて20代で薬草の栽培を始めました。冷害がひどく薬草しか育たなかったんだけど、それがきっかけで薬草の仕事一筋。 
 ―お父さんの職業をどのように思っていましたか。
 「薬草屋さん」と呼ぶ人もいたね。はっきりした職業じゃないから、友達にも言いづらいし、なんか嫌だったね。家には乾燥した薬草だらけだから、身体に匂いが染み込んで、友達に「薬臭い」って言われたこともあったよ。 
 ―亡くなられてから思うことは。
 いつもにこにこして、仕事が好きで、元旦位しか休まなかった。いばらなかったし、子供たちは尊敬してた。死んで10年経たない頃だったかな。酔っぱらって銭函から張碓まで歩いていた時、ふと父さんの事を思い出して。「父さんは何者だったのか、何もわからない」そう思ったら涙が止まらなくなった。家族って以外とわからないものかもしれないね。

(杉本真沙彌)

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