HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第6回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第6回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■046『自分の名前と責任で全てやりとりしたい』

後藤栄二郎さん(32)=MARUMI COFFEEオーナー、札幌市出身、札幌市在住

 ―お店を始めたのはいつ頃ですか?
 8ケ月前です。老舗コーヒー店にサラリーマンとして8年勤めた後、昨年の4月に独立しました。もともと独立志向だったんですが、それは父の影響が強いと思います。
 ―“お父様の影響”とは。
 父は『ペケレット湖園』という、北海道の樹木を10万本集めた庭園で高級ジンギスカン店を経営しています。常々「お客様にゆったりとした空間と時間を感じてもらいたい」と言って仕事をしていました。そんな環境で育ったせいか「仕事をするなら、お客様に喜ばれる商売につきたい」と、思うようになったんです。
 ―独立にこだわったのは、なぜですか。
 「自分の名前と責任で全てやりとりしたい」と思ったからです。父が人と話をしている姿は、すごく自信に満ちていました。「失敗したら、自分が責任を持つ」という姿勢があるので、物事を伝える言葉に説得力があって。そういう姿に強く憧れていたんですよね。

(楢戸ひかる)

■047『口下手だったから、なおさら胸にじんときました』

秋田実さん(48)=飲食業、赤平市出身、札幌市在住

 ―赤平は炭鉱で栄えたところ。さぞ賑やかだったのでは。
 それはもう。繁華街も炭住も活気に満ちてました。父は炭鉱の職員で、ヘルメットの上に装着する安全灯の保守点検の仕事をしていたのですが、三番方で入った父に付いて行って職場に泊まったことがありました。中1のときです。
 ―お父さんの仕事ぶりをずっと見ていたのですか。
 途中で寝てしまいました(笑)。朝、売店で買ってもらった熱々の大きな“おにぎり”がすごくおいしくて、飲食の仕事に就いてからも、どうやったらあの味が出せるのか考え続けているんですが、いまだにわからないんですよ。
 ―よほど感動したんですね。お父さんとの近年の思い出は。
 父は一昨年亡くなったんですが、年老いた父から、なんと小遣いをもらいました。「たまに、あれだ、お前に小遣いやる」と言って3万とか5万とかくれるんです。私が独身時代、“食いぶち”として家に3万入れていたことと関連してるのかな……。決め台詞の「早くしまっとけ!」も耳の奥に残ってます。

(道産ヨネ)

■048『仕事とは、“誰かのために役にたつこと”』

畠山美咲さん(23)=小学校特殊学級教諭、札幌市出身、札幌市在住

 ―障害児教育を仕事にしようと思ったキッカケは。
 幼馴染や同級生に障害を持った子がいたので、自然な形で関わりながら育ちました。小学校の頃には「そういう子たちと、どう遊べば喜ぶかなぁ」と考えていました。自分が工夫したことで相手が喜んだり、反応が返ってくることが楽しかったんですよね。
 ―今の仕事に就くことに迷いはなかったのですか。
 芝居や音楽などが大好きでしたが、それらはあくまで“プライベートの楽しみ”。私にとって仕事とは、やりがいを感じる、“誰かのために役にたつこと”というイメージがあったので、迷いはなかったですね。
 ―仕事=誰かのために役にたつこと、とはスゴイ考え方ですね。
 父は公務員なんですが、その理由を尋ねた時に「札幌という街が好きで、この街のために役に立ちたかったから」という答えが返ってきて。父のその言葉がス トンと自分の中に入って、納得したんです。小さい頃から「尊敬する人」の欄には「お父さん」と書いていたからこそ、その父の言葉が自分を前へ押してくれた んだと思います。

(楢戸ひかる)

■049『“農家のオヤジ”で終わりたくなかった父』

五十嵐恒さん(71)=美術ジャーナリスト、空知管内北村出身、札幌市在住

 ―北村ご出身ということですが、お家は何をされていたのですか。
 水田農家をしていました。農家だから水田や家があるんだけど、「跡をとれ」とは一度も言われたことがなかったね。それよりも小さい頃から「お前は大学まで行くんだぞ」と言い聞かされて育ちました。父は農業が好きじゃなかったんじゃないかな。
 ―お父様の希望通り大学に進学されたんですか。
 高校から札幌に出て、大学は東京に行きました。私が高校に入ったのを機に父は水田や家を全部売って、札幌に出てきて銀行員になったんです。
 ―肉体労働からデスクワークへの変化は大丈夫だったのですか。
 もともと、よく机に向かっていたからね。本を読んだり、日記をつけたり、町内会の役員をしたり……。「農家のオヤジで終わりたくない」っていう気持ちがあったのでないかと思う。日記をつける習慣は、オレも受け継いだ。小学校時代から始めて、今でもつけているから。活字に関する仕事についたのも、それが関係しているのかもしれないね。

(楢戸ひかる)

■050『踊りすぎて熱中症で倒れる』

田代陽子さん(39)=映画監督、川崎市出身、帯広市在住

 ―神奈川のご実家では何歳まで過ごしたんですか。
 21までですね。近所に田んぼがあって、牛屋さんもいたりして、のどかな所でした。日曜日には父に誘われてヤマユリ採りに行ったり、キャッチボールしたり。今も山登りが好きなのは父の影響かもしれません。
 ―北海道に単身移住することになったきっかけは。
 学生時代にカナダのバンクーバーで暮らしたことがあって、そこの風景が北海道の十勝平野にそっくりだったんです。それで、学校中退してすぐ帯広に引っ越してきました。
 ―そのまま根付いてドキュメンタリー映画を撮ることになった。お父さんはなんにも言わなかったですか。
 新得町での映画祭に毎年来るようになりましたね。もうほとんどスタッフの一員。なんかすごく楽しそうですよ。みんなでお酒飲んで踊りまくって、次の日に熱中症で倒れたこともある。それ以来無理しないようにしてるみたいですけど、もうすっかり年一回の楽しみにしちゃってますね。

(小笠原淳)

■051『馬そりに飛び乗り、湯たんぽ抱いて往診』

三森れいさん(60)=歌人、網走管内西興部村出身、札幌市在住

 ―お父さんは、長年、地域医療に貢献なさったそうですね。
 村に一つしかない診療所でしたから、病気、けが、何でも診ていました。昭和30年代、夜、ドンドンドンと玄関の戸を叩く音がすると、飛んで行って鍵を外 すのが私の役目。冬場の往診は大概馬そりで迎えに来ていて、飛び乗った父は往診かばんと湯たんぽを抱き、角巻きを頭からかぶって暗闇に消えて行きました。 血だらけになった人が担ぎ込まれるなど、いろんな経験をしているので、私たち家族もちょっとやそっとのことでは動じなくなりましたね。
 ―普段は、どんなお父さんでしたか。
 謹厳実直。読書好きで短歌や俳句を愛好し、勉強はもちろん、あらゆることを教えてくれました。父が毎朝聴いていたラジオの英語講座が、一時期、私の目覚 まし代わりになっていました。昼夜を問わず村の人々に尽くした父は私の誇り。でも、小1の学芸会の開会の言葉、卒業式の答辞など、子ども時代の晴れ舞台を 急患のために見てもらえなかったことは、ちょっと残念に思っています。

(道産ヨネ)

■052『子どもだったことは一度もなかった』

elle of flowerさん(42)=ミュージシャン、札幌市出身、東京都三鷹市在住

 ―タトゥーにピンクのエクステンション(付け毛)と、個性的なファッションですね。
 いつも“普通って何?”と、思うんですよね。確かに中にいると“私だけ異質”と思う集団もあるけど、だからといってみんなに合わせようとは思いませんね。
 ―子どもの頃からそうだったんですか。
 私、子どもだったことがないんです。最初から大人だった。たとえば、おままごとをしている時。“泥の団子を御飯と思えと!? 面倒くさいシステムだな”と感じてる、みたいな。
 ―なぜそういう“子ども”だったのでしょう。
 父は会社を経営していたのですが、家の外に常に女性がいました。家に戻ってくれば母を殴って……。私は母を守る役目だったから、大人でなければならな かった。だから昔から本もたくさん読んで、いろいろなことを真剣に考えました。今、密度の濃い人生を送れているのはそのせいかもしれません。そんな家庭環 境だったことに感謝しています。

(楢戸ひかる)

■053『赤ちゃんの時から、ずーっとパパのことが大好きだった』

斉藤大輝さん(6)=保育園児、札幌市出身、札幌市在住

 ―パパの話を聞かせて欲しいな
 ダイチャンね、赤ちゃんの時から、ずーっとパパのことが大好きだった。じいちゃんちのトイレが怖い時も助けてくれるんだよ。
 ―パパのどんなところが好き。
 全部大好き。パパのことが大好きだから、パパと一緒に住んでいるの。ママは別に住んでいて、たまに会う。でもパパがいるから寂しくないの。ママに会う時は嬉しいけどね。
 ―パパと何をするのが嬉しいの。
 カブトムシのエサやり。あとね、一緒に眠る。眠るところには加湿器があるから、よく眠れるの。加湿器の灯りがあるから、部屋が真っ暗にならないんだよ。

(楢戸ひかる)

■054『おやじから学んだことは、まずアユ釣り』

酒井広司さん(46)=フォトグラファー、後志管内余市町出身、札幌市在住

 ―お父さんを語るとき、真っ先に思い浮かぶことは。
 川釣り、海釣り、何でもやるけど、特にアユ釣り。かつての余市川は、今よりずっとアユが釣れ、おやじは毎回50匹ぐらい釣ってきて、親戚や隣近所にも配ってた。友釣りの種アユ(おとりに使う生きたアユ)は、売ってもいるんだけど、おやじは川に空針を流して自分で捕まえる主義。根をつめて一つのことをとことんやるところは、おやじの性格を引き継いでるんだと思う。
 ―お父さんは、どんな仕事をしていたんですか。
 普通の勤め人。写真も好きで撮ってた。おやじの世代は趣味で写真をやる人が多く、小さな暗室を作って、自分でモノクロのプリントしてたんだよね。
 ―お父さんのアルバムの中で、印象深い一枚は。
 台風か何かで倒壊する以前の余市水族館の写真かな。子どものころ海岸で遊んでいて、「ここに水族館があったんだよ」と聞かされてもピンとこなかった。写真でしか見られないものがあることを教えてくれた一枚というところかな。

 

(道産ヨネ)

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