HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第5回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第5回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■037『跡を継ぐのなら、一度外の世界を見てこい』

山室正則さん(54)=食品卸売業、北見市出身、北見市在住

 ―お父様が会社の創業者なんですか?
 そうです。昔の問屋なので土日もなく働いて、休みは毎月19日のみ。夏休みの19日は従業員の方々の家族も含めてキャンプに行きました。楽しい思い出ですね。父は部下の気持ちもわかる人で、他の会社から修業のために預かった若者が坊主頭だと「俺から上に話をしてあげるから、髪の毛をのばしてもいいんだよ」と言うような人でした。
 ―躾は厳しかったんですか。
 ご飯食べる時は正座。ご飯粒を残したりしたらうるさかったです。「“食”を扱う人間がご飯粒を大切にしないのはどうだ」と言われて。それは心に残っています。
 ―山室さん自身、“後継者である”という気持ちはいつからお持ちでしたか。
 小学生の時には文集に書いていました。父は「会社を守る」という意識が非常に強い人でしたので、中学生の時に呼ばれて「お前、跡を継ぐっていう気持ちは本気か?」と聞かれました。その時に「跡を継ぎたい」と答えたら、「ひとり息子で世間を知らないんだから、早めに一度は北見から出て行け」と言われ、高校から札幌に出てひとり暮らしを始めたんです。

(楢戸ひかる)

■038『お母さんがドライヤーの時、お父さんと布団で待っている』

西村望美さん(6)=保育園児、札幌市出身、札幌市在住

 ―お父さんのお話を聞かせて欲しいな。
 何の話をするの?
 ―何をして一緒に遊ぶかとかさ。
 お父さんと遊ばないもん。日曜日は、お父さん会社行くから遊べないの。でも、こないだ1回だけ日曜日と月曜日がお休みだった。何もしなかったけどね。あと夏に、桜台公園に自転車に乗って行った。
 ―お父さんとご飯を食べたり、一緒に寝たりすることはあるの。
 たまーにね、ご飯を食べる時もある。お父さんと一緒に寝ることもあるよ。お母さんがドライヤーをかけている時にね、お父さんと一緒に布団で待っている。あのね、お父さんね、「目つぶって待ってなさい」って言うの。

 

 

(楢戸ひかる)

■039『黙っている二人だけれど…』

中村欣嗣さん(49)=中村よしあき建築研究所、岩見沢市出身、岩見沢市在住

 ―住宅を中心に設計活動をなさっていますが、共通する設計テーマは。
 1990年にゼネコンを退社し、どうせやるなら人に役立つことをやろうと、「人権と住環境」をキーワードに活動を開始しました。現在は、「住居はその人が生活するための器で、人権を保障する器である。社会単位では、さまざまな福祉の空間的支えであり、次世代への資産である」という認識で設計しています。
 ―建築を志したきっかけは。
 エンジニアに憧れ、広い意味でのデザインに興味があったので、建築に進んだのですが、保険の代理店だったおやじに対する反発もあったかもしれません。
 ―あえてお父さんと違う道を選んだということですか。
 ええ。僕は4人きょうだいの末っ子で長男。「よろこんで、つぐ」という意味の名前が嫌だったし、大人にあれこれ決められるのが嫌で反抗していました。でも、家庭を持ってからは休日ごとに家族で実家に行っています。たまたま今日は僕がカレーを作って両親と3人で食べるんです。おやじとの会話は今日もないんだろうけど、僕ら親子はそれで理解しあっているということかな(苦笑)。

(道産ヨネ)

■040『家族にたくさん宝物を残してくれました』

池 R周 直美さん(30)=大学助手、カナダ・バンクーバー市出身、札幌市在住

 ―専門の現代韓国の政治はもちろん、英語、フランス語、日本語、韓国語と、語学も堪能ですが、どのようにして身につけたのですか。
 私が5歳のときに父の仕事(レスリング、ボクシングのコーチ)の関係で日本(札幌)からカナダに移住したので、カナダでの暮らしでマイナーな言語になってしまう日本語と韓国語を、両親が毎日時間を決めて教えてくれました。
 ―ご両親は教育熱心なのですね。
 特に父は、勉強はもちろん、しつけ、言葉づかい、お金の使い方などにも厳しかったです。厳格な面と楽しい面を併せ持ち、私と妹をウエート代わりに両腕にぶら下げるなどして遊んでくれましたし、うれしいことがあるとよくツイストを踊っていました。父は歌も好きで、家族で「のど自慢」もしましたよ。
 ―ほほ笑ましい情景が目に浮かびます。
 父は私が19歳のときに病気で亡くなったのですが、後々家族が苦労しないようにと、あらゆる備えをしておいてくれたところも父らしいなと思います。

(道産ヨネ)

■041『“街なかに住む日常”を楽しんでいた父です』

佐竹良悟さん(68)=札幌中心部のまちづくりマン、札幌市出身、札幌市在住

 ―お父様の代から、札幌の中心街にご縁があるんですか?
 父は札幌市の人口が1万6千人の頃から都心部に住んでいたようです。時代でいえば、明治の終わりか大正からですね。
 ―どんな方だったんですか。
 27年前に亡くなりましたが、物静かな人でした。オシャレで床屋にしょっちゅう行って髪形を今でいう七三に分けていましたね。新しいものも好き。30年以上前、当時まだ珍しかった赤ワインを私が飲んでいるのを見かけるたびに、「一口くれ。どんな味がするのか試してみたいんだ」と言うんです。毎回、「やっぱり苦くてうまくないなぁ」と言うのにね。
 ―お父様は札幌中心部の変遷をどんな気持ちで眺めていたのでしょうか。
 自分の家の界隈が大きなビルになる様子を、とても興味深く見ていたようです。散歩がてら、それをプラプラ見て歩いてね。その帰り道、一杯飲みたくなったら居酒屋に寄って……。飲んだ後、歩いて家まで帰ってこられるのは街なかに住んでいるよさですよね。

(楢戸ひかる)

■042『性格も顔立ちもそっくり』

菅原三栄子さん(58)=詩人、根室市出身、岩見沢市在住

 ―創作活動をはじめ、地域活動や文化活動にも励んでおられますが、お父さんの影響はありますか。
 DNAを感じますね。父は呉服店を経営する傍ら、お寺やPTAの役員、町議会議員などもやっていました。忙しさで自分をすり減らしても、人のお世話をするのが大好き。私は性格も顔立ちも父にそっくりで、父は分身のような私に期待をかける反面、大人びて小生意気だと思っていたきらいがあり、私は私で父を愛しているんだけれど、こうはなりたくないと否定的にとらえていました。
 ―今現在は、いかがですか。
 父は30年ほど前に亡くなったのですが、若いころにもらった父からの手紙を読み返すと、精一杯生き、娘に手紙を書きながら自分の有り様を確かめていたのがわかります。夫や子どもに恵まれ、自分の望むことがバランスよく追求できる時間を持つに至ったことを幸せに思うと同時に、読書をしたり物を書くなど、父が望んで叶わなかったことを共に実現しているようにも思います。

(道産ヨネ)

■043『上京、40秒で認めてくれた』

梅沢律恵子さん(26)=ライター、札幌市出身、東京都江東区在住

 ―札幌から上京して何年になりますか。
 ちょうど1年半ですね。親の脛を齧り、しゃぶり尽くしてしまって、もう脛が見当たらなくなったんで家を出ました。
 ―末っ子の長女だそうですが、家を出る時お父さんは何も言わなかった?
 出るって言った直後は「大丈夫なのか」って驚いてましたけど、40秒後には諦めてました。その何年か前、営業職からマスコミに転職するって言った時は説得に2分ぐらいかかったから、たぶん転職の方が衝撃だったんでしょう。
 ―東京で、お父さん代わりになってくれている人はいますか。
 職場の上司です。女性なんですけど、すごくお父さん的な頼り甲斐がある。どっしりとしてて、「あとは私がケツ持つから、思い切ってやんな!」って、背中 叩いてくれるんです。たまに「お母さん」って呼んじゃう時もあって、向こうもうっかり「今お母さんが言ったのはさあ」なんて言ってきたりするから、もしか したら両方引き受けてくれてるのかもしれませんけど。

(小笠原 淳)

■044『父がドーナッツを作ってくれた時のワクワク感が私の原点』

菅野孝一さん(49)=Coffe&Cake UNCLE HOUSEオーナー、網走管内小清水町出

 ―お父様は、お料理をされる方だったんですか?
 全くしませんでした。小学校の1年の時、母が不在で父と私で留守番をしていた時のこと。父がりんご切ってくれたんですが、なぜか輪切りで。その時に「父は料理ができない人なんだ」と、しみじみと実感した思い出があります。
 ―お母さんの作ったお料理を黙々と食べているような方だったんですか。
 マズイ時は必ずダメ出しをしていました。ただ、自分が料理をしないから「しょっぱい」「甘い」などと表現が大雑把で。それで困っている母を見て「具体的なアドバイスをするためには、男も料理ができないとダメなんだな」というのを子ども心に感じていました。
 ―ただの一度も“お料理”に参加されなかったんですか。
 一度だけ、私が小学校3、4年生の頃、休みの日に母と一緒にドーナッツを作ってくれたことがあって。味は覚えていませんが、できあがったドーナッツにグラニュー糖がびっちりついている映像は今でも鮮明に覚えています。父と母がドーナッツを作っている姿を見た時のワクワク感、あれが自分が食べ物を作る仕事に携わっている原点です。

(楢戸ひかる)

■045『家族との時間を大切にする人です』

斎藤奈月さん(22)=大学生、札幌市出身、札幌市在住

 ―少林寺拳法弐段だそうで。
 はい。格闘技に憧れて、大学の部活で少林寺拳法を始めました。最初は受け身ができなくて、家で父に特訓してもらいました。
 ―お父さんも少林寺拳法をなさるのですか。
 いいえ。父は中学校の体育教師で柔道がわかるので、受け身の基本を和室でみっちりと…。小さいときから運動で困ったことがあると父に聞き、逆上がりのコツも教えてもらいました。父が特に好きなスキーに関しては、教えてもらったというより、家族全員、スキー場に連れていかれたという感じです。
 ―家族全員で出掛けることが多いのですか。
 兄は本州に就職し私も社会人になるので、これからはわかりませんが、今まではキャンプや旅行、親戚のうちへも家族そろって行きました。父は叔父(母の弟)と気が合い、一緒にお酒を飲むのがすごく楽しいみたいです。父のお酒は楽しいお酒なのですが、酔ったときの“いびき”が唯一困りものです(笑)。

(道産ヨネ)

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