
明治維新をどう評価するのか、は、常に歴史研究や歴史小説のなかで、揺れてきた。
これまでよくあったのは、幕府は、遅れた旧体制であり、海外情勢に危機感を持たない無能な役人にあふれた組織。尊王攘夷は革命的な「志士」たちの民族主義的、進歩的思想であり、薩摩・長州・土佐などの志士たち(たとえば西郷隆盛であり、坂本龍馬であり)は、命がけで西欧列強から日本を守り、近代日本の礎をつくった英雄であり、彼らと意を通じた勝海舟は国際的な視野で江戸を救った傑物である、という具合である。
もちろんいまどきそのような一方的な史観で考える歴史家はいないだろうが、日本人の多くの西郷好き、坂本龍馬好き、勝海舟好きは、明治以降そのような立場で書かれつづけてきた文書や小説、映画、ドラマによるものに他ならず、かなり根深いものがある。
佐々木譲は、その見方をことごとに覆す。榎本武揚をはじめ、多くの海外事情に精通した有能な徳川家臣の存在と、幕政改革によって新しい日本を造ろうとしていた衆議に対して、薩長が朝廷を私し、陰謀をめぐらし、権力を簒奪したのであり、勝海舟は薩長と呼応し通じていたというコンテクストを提示する。
佐々木はそのことを、榎本武揚を通じた細密な歴史描写と考証で描く一大幕末叙事詩として成立させ、本書は新田次郎賞を受賞した。
榎本武揚は、20代で幕府のオランダ留学生としてヨーロッパに派遣された。航海術や科学技術、国際法などを学び、帰国後は、開明的エンジニアであると同時に、旧幕府海軍副総裁として、艦隊を率いる。徳川家処分に抵抗し、旧幕臣の生きる途を求め、蝦夷地にわたり箱館戦争をその最高指導者として戦ったとき、彼はわずか32歳だった。
薩長や、勝海舟は、たとえそこに私欲やマキャベリズムがあったとしても、近代日本を生み出した「理」の人々であったといえる。しかし榎本武揚や、薩長に抵抗した者たち、箱館に斃れた土方歳三、中島三郎助父子などは、「節義」の人々である。どちらが政権をとれば、良い日本を生んでいたかは、歴史のイフである。
北海道を拠点に書き続ける佐々木譲は、榎本の蝦夷共和国の構想に、いまの北海道の自立を重ね合わせる。はたしていまの北海道に「節義」の人はあるだろうか。 |