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連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第45回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■215『人のために役に立ちたい』

酒井秀男さん(68)=無職 日高管内新ひだか町(旧静内町)出身、札幌市在住

 ―子ども時代は静内。
 実家は畑作や水田、酪農もやっていたので、小さい時から仕事を手伝ってました。朝は夜明け前から起きて、飼っていた乳牛に餌をやる。牧草とかビートとか。牛はね、餌食べないと乳出さないんだわ。
 ―お父さんはどんな方でしたか。
 親父は二代目で、先代は淡路島から集団で静内に入植した。いつも優しい、争いごとの嫌いな人で、ほとんど怒られたことなかったね。役場とかから、作付け面積なんかの書類が来るんだけど、地域の人たちは内容が難しくて読めないことが多かった。そういう時はみんなウチに相談に来て、親父が彼らのために説明したり、書類を書いてあげたりしていたよ。
 ―なるほど。
 そういう中で、人のために何かしてあげたい、という意識が生まれたんだろうね。それが今のボランティア活動につながっていると思う。
 ―現在の活動は。
 JR白石駅の広場に5000個の刻印レンガを設置する「思い出レンガプロジェクト」(http://www7.plala.or.jp/shiroishi-net/omoide/)の事務局を手伝っています。ぜひ宣伝してよ。

(及川直也)

■216『エゾシカ肉の美味しさをもっと広めたい』

川原久典さん(37)=会社員、十勝管内上士幌町出身、十勝管内上士幌町在住住

 ─お父さんは猟師さんなんですね?
 ええ、シカ肉を精肉にする「鷹の巣農林」を営んでいて、自分で猟もします。子どものころの記憶は、山で仕留めたシカを父とハンター仲間が処理しているとか、家族で行ったキャンプとか。その僕も今は狩猟免許を持ち、毎冬シカ狩りに行っています。
 ─お父さんの会社を継ぐために、北海道に戻られたとか?
 山梨で建設の仕事をしていたんですが、3年前に戻ってきました。僕は長男なので、昔からなんとなく跡を継がなきゃならないのかなとは感じてました。父が還暦を迎え、そのころはエゾシカの解体処理業は道内に数軒しかなく、長年父が積み上げたものを残したいと思ったんです。でも、父から継げと言われたことは一度もなかったですね。
 ─シカ肉をおいしくするテクも長年の経験の賜物ですね。
 仕留めたシカはその場で開いて肉が体熱で蒸れないようにしないと、固くなったり臭いが付いたりするので、ハンター仲間に協力をお願いしています。そういう努力もあって、エゾシカ肉の味は向上していますよ。「プチレスト鷹の巣」という自営店でシカ肉料理も提供していますが、もっと多くの人にこの美味しさを知ってもらいたいですね

(鶴見裕子)

■217『陶芸は一人一代でいいと思っています』

林雅治さん(62)=陶芸家(FAF工房http://www8.plala.or.jp/FAFkoubou/)・羊飼い、京都市出身、後志管内倶知安町在住

 ─お父さんは有名な伝統陶芸の作家・林沐雨さんですね。
 ええ。戦後間もないころは、ニューヨークの5番街に「沐雨オーナメント」という作品を置くスペースがあったそうです。父は緊張するとどもり、人づきあいもよくないほうでしたから、決して商才があってそうなったわけではなく、知り合いの貿易商の人がうまいことやってくれたのと違いますか。
 ─「沐雨を継いでほしい」と言われたことは?
 晩年以外はほとんどなかったですね。小さいころから仕事を手伝わされ、陶芸が身近だったこともあって、8人きょうだいのうち兄と姉2人とぼくの4人が焼き物の道に進みましたが、みな名前を継いでいません。兄は前衛陶芸、ぼくは抽象陶芸と作風も違います。でも、平成3年に父を亡くした後、沐雨を少しずつ作ってはいるんです。発表はしていませんけど。
 ─作りためている?
 いやぁ、技術が追いつかないんですわ(笑)。情報があふれ選択能力ばかり磨かれる現代と違い、昔はテレビなどもなく朝から晩まで仕事一辺倒。獲った鳥や魚を観察して作品づくりに活かすため猟や釣りに行く。そこまでやり込まないとできない技術なんですよ。

(鶴見裕子)

■218『死の直前、同じ病院に入院していた』

北村次秀さん(46)=ボディビルジム経営(「トレーニングジムB-ONE」(http://www66.tok2.com/home2/b1/))、札幌市出身、札幌市在住

 ―北村さんの子ども時代は。
 毎日釣り竿を担いで、山の中を自転車で駆け回り、川魚を釣ったり……。自然児そのものだったね。
 ―お父さんはどんな方でしたか。
 オヤジは道庁に勤めていた。お酒が好きで、家でニコニコしながら晩酌を楽しんでいたよ。退職後はお酒をおいしく飲むため、1時間以上の散歩をして、風呂に入ってから一杯やる。学校の勉強については、何も言わなかったな。
 ―お父さんの思い出は。
 ガンで入退院を繰り返して、去年亡くなったんだけど、そのとき自分も内臓を壊して3週間入院したら、なんと同じ病院の同じ先生だったんだよ。二人で点滴をガラガラ引きながら歩いて(笑)。
 「自営業をやる」と言って家を飛び出してから、あまり話をしたこともなかったんだけど、死ぬ前にオヤジと話すことができた。これも「縁」なんだろうね。

(及川直也)

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