HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第40回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第40回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■196『大きな愛情に包まれている実感』

吉田保之さん(55)=無職、旭川市出身、江別市在住

 ─温和で口数の少ないお父さんだったとか?
 はい。大学受験に関係のない商業高校の校長だったので、勉強に偏らない人間らしさを大事にしていました。でも、ガンで亡くなる前日は、鎮静剤を打たれるほど暴れたそうです。死への恐怖だろうと医者は言いました。無宗教の父にとって、死とは存在が無になること。「死んでもお父さんは僕の心の中に生きているからね」と伝えてあげたかったです。
 ─吉田さんご自身はなにか宗教をお持ちで?
 僕は法学部卒で論理的な考え方をする傾向にあったんだけれども、病気で仕事ができず苦しんでいたときに、カウンセリングを通して、業績や数字で見る世界とは別に人生や幸福について考えることが大切だと学びました。だから、宗教って大事だと思うんです。
 ─自分が乗る乳母車を押すお父さんの記憶があるそうですね?
 川沿いの土手から見たとってもきれいな夕焼けでね。その風景を思い出すと深い安らぎを覚えて、どんな辛いことがあっても自暴自棄にならずに済んだんです。以前、父に一番幸せだったのはいつかと尋ねたら、「お前が生まれたときかなぁ」と答えました。乳母車の僕は、父の大きな愛情を感じて、生きる力となる安心感を得たんでしょうね。

(鶴見裕子)

■197『兄妹4人の面倒をみた父』

菊池由佳子さん(41)=公務員、札幌市出身、札幌市在住

 ―お父さんはご両親を早くに亡くされたとか。
 父は5人兄妹の長男で、弟が3人と一番下に妹がいます。東京の大学に通っているときに母親を亡くし、その一年後に父親を亡くしました。父が大学二年のときです。
 ―その後は?
 大学を二年で辞めて公務員になって、こっちにもどってきて兄妹4人の面倒をみたようです。幼いころの記憶では、8帖・6帖の宿舎に両親と妹と私、学生だった叔父と叔母が暮らしていました。お給料日前になると、どこからかもらった鮭缶やさば缶のカレーが出ました。「お魚のカレーはもういやだよう」って感じでした。
 ―お父さんの思い出は?
 カメラとかラジコンとか趣味はいろいろありました。最後は車でしたが、いつもピカピカにして、週末になると近所のスーパーへ買い物に。
 ―いま思うことは?
 退職して3年後に亡くなったので、働いて働いて、これからゆっくりしようというときですよね。父が亡くなってからですが、旅先で雨に降られることが多くなったんです。父が旅行に出かけると必ず大雨とか台風だったんですよね。もしかして、ついてきてる?

(杉本真沙彌)

■198『中学時代の門限は午後7時』

神原巧さん(26)=医療ソーシャルワーカー、札幌市出身、札幌市在住

 ─お父さんとの思い出で最も印象的なことは?
 門限ですね。高校で部活をするようになってからは緩くなったんですけど、中学時代は午後7時までに帰宅しないと、おこづかいを止められたりしました。遊び歩きは良くないというのが理由で、それを門限というかたちで表したんでしょう。なにかと家族サービスを考えてくれる良い父なんですが、そういうところはとにかく頑固なんですよね(笑)。
 ─頑固で厳しい方なんですか?
 子どもの頃はうっとうしかったです。でも、早くにお父さんを亡くした友人から、きちんと父と話すよう勧められて、意識して話しかけるようにしました。父の単身赴任先で一緒に飲みに行ったりもしましたね。
 ─社会人になってお父さんを見る目は変わりました?
 子ども3人を大学までやった父はすごいと思うようになりました。あと数年で定年なので、退職後は両親に旅行をプレゼントできればいいねと、姉や弟と話しています。

(鶴見裕子)

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