HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第35回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第35回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■175『つらいときに歌』

信濃節子さん(68)=民謡愛好家、宗谷管内礼文町出身、小樽市在住

 ―性格はお父さん似だとか。
 父親は何でも早めに準備する人でした。子どもが生まれ、一緒に親戚を訪ねたときも、1時間前に駅について、「子どものおむつ、今のうちに変えとけ。おっぱいもやっとけ」と。何事にもそうでした。今では私が孫に対して同じことを言ってます。30分早く行動しなさいって。顔も性格も父親似です。
 ―お父さんが亡くなるときのことをよく覚えていらっしゃる。
 もう亡くなるというときのことです。父親が母に向かって「コマ、一緒に行こう」と言うと、母は「死ぬときは一人で行くもんだ」と。母は冷たい人なんです(笑)。通夜の日、私は台所に立って食事の準備をしていたのですが、思わず鼻歌が出てしまったんです。まつしま〜の〜♪って『斉太郎節』が。ノリのいい曲なので、まわりにいた人にこっぴどく怒られました。でも良く考えてみると、つらいときに限って歌ってるんですよね。看護師時代も、夜勤明けでへとへとになったときに、海から昇ってくる朝日を見ながら、仲間と一緒に、ミラーマーン♪って、よく歌っていました。

(杉本真沙彌)

■176『人づきあいの達人です』

伊藤規子さん(45)=農業、札幌市出身、滝川市在住

 ―お父さんはサラリーマンだったそうですね。
 電電公社(現NTTの前身)に勤めてました。毎日すすきので豪遊してた人なんですよ。だからあまり家にはいませんでしたね。部下の面倒みが良くて、その部下や同僚を引き連れて、一緒に飲み歩いてたみたいです。時には家にも大勢連れてきて、朝までワイワイやっていましたね。退職後の再就職も、長年の付き合いで生まれた人脈で決まりました。
 ―さすがですね! 人づき合いの極意は何でしょう?
 印象に残っているお父さんの言葉があるんです。「自分のことを悪く思っている人がいたら、他の人との会話でその人を褒めろ」と言うんです。「それは必ず誰かから相手に伝わる。すると相手の態度も変わってくる」。
 ―なかなかできないことですが、お父さんはそうされていたのですね。
 政治や教育にも熱心です。私が農家にお嫁に来たので、農業のことも調べて意見を持ってます。話し出すと止まりません。だんなが聞き役です(笑)。

(皐月)

■177『ほら吹きが売りです』

簑谷孝臣さん(36)=店舗管理者、小樽市出身、小樽市在住

 ―お父さんは現在、昆布専門店「利尻屋みのや」の社長。勤め先を辞めて会社を興したとか。
 私が高校を卒業した頃、おやじが「会社を辞めて利尻昆布を売りたい」と言い出しました。家族会議では全員反対(笑)。50になって危ない橋を渡ることないと。現在は4店舗ありますが、最初は店もなく、車にのせて一袋ずつ売り歩いていました。
 ―成功の秘訣は?
 おかしなキャッチフレーズがついてるんです。「七日食べたら鏡をごらん」とか。昆布には肌を美しくする成分が入っているからなんですけど。おもしろく売り歩いたからではないでしょうか。
 ―お父さんはどんな人ですか。
 ほら吹きが売りです。嘘ではありませんが、大きなことを言ってしまうんです。私には市長みたいに思えますが。
 ―市長?!
 都市計画のように最初に大きなことを語り、一つずつかなえていって最後には計画を実現するんです。常に小樽の10年後、20年後を考えています。今は出世前広場という店舗スペースを作り、若い人が育つ場にしています。実は私も出世前広場の店で働いています。

(杉本真沙彌)

■178『貧しいけれど豊かでした』

山木靜子さん(67)=主婦、旧樺太庁出身、札幌市在住

 ―ご自身は幼いころご病気に?
 小学校に上がる前に小児マヒになりました。首から下がまったく動かなくなってしまったんです。マヒが残ったのは左腕だけで、ほかは回復しました。でも不思議なことに、あまり不自由だと思わなかったんですね。脳天気なんです。他人ができることは自分もできると思っていましたし、父もほかのきょうだいと同じように私を扱い、差別しませんでした。不自由だと感じなかったのは父のおかげかもしれません。
 ―お父さんは馬具商だったとか。
 自分で馬具を作って売っていました。樺太に渡り、馬具を売って随分成功したようです。終戦後、日本に戻ってきましたが、向こうから送った家財が一つも届かず、全部失ってしまいました。貧しいなかでも新しもの好きの父は、仕入れの帰りにセルロイドの筆入れや下敷きなどを買ってきてくれました。七夕やお月見など季節の行事を大切にしていました。行事とがあると、ご馳走が食べられるので、とても待ち遠しかったです。貧しいけれど豊かでした。

(杉本真沙彌)

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