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連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第31回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■160『意見は合わないけど仲良し』

吉田篤史さん(28)=会社員、札幌市出身、札幌市在住

 ―27歳でマイホームを新築。意欲的ですね。
 不動産売買の仲介の仕事をしていて思うんです。持ち家の方が経済的だって。以前は車1台分ぐらいの価格のマンションを買って住んでました。
 ―お父さんが社長の会社にお勤めだそうで。
 同業の他社で2年間修業してから入社しました。バブルの時代を乗り越え、生き残った父は確かにスゴイと思う。運もあったし、母の存在も大きかったんじゃないかな。母がブレーキをかけないと、わーっと突き進んじゃう人だから。
 ―ご自身はいかがですか。
 性格も仕事のやり方も違うけれど、仕事の話ができる奥さんを持っているところは共通してるかも。父と私は意見が合わないにもかかわらず、不思議と仲がよくて、ゴルフの打ちっ放しに行く時も必ず誘いに来るんです。この家を建てるに当たっては、施工などいろいろサポートしてくれました。仕事の面で、もっと楽させてあげたいけれど、父は「まだまだお前になんか……」と思っているんじゃないかな。とびきり元気な55歳ですから。

道産ヨネ

■161『信頼し合いながらそっぽを向いていた二人?』

瀬戸正昭さん(56)=広告会社社長、空知管内栗山町出身、札幌市在住

 ―お父さん、瀬戸陽三郎さんは実業家である一方、碁打ちでもあったとか。
 プロではありませんが、亡くなったときにはアマチュアの7段でした。プロになるには小さい頃から内弟子に入らなくちゃいけない。目指したのが遅かったのでプロにはなれなかったようです。ものおじしないひとで、呉清源さんなどプロ棋士と二千局以上対局しています。朝の四時頃からパシッと碁を打つ音が聞こえていました。先人の碁を並べて勉強してたんでしょう。ただならぬ雰囲気でした。
 仕事の方は自動ドアの販売会社を3人で始めましたが、半年間は全く売れなかったそうです。さすがにそのときはつらかったと、喜寿祝に初めて聞きました。当時、家族には一切言っていませんでしたね。
 ―お父さんとのご関係は?
 おやじとはあまり仲が良くなかった。面と向かうとあまり話をしないし、会社を興すときにもおやじからの出資を断るし。かわいげがないんですよ。でも、私は風格のある男性が好きだし、その点ではあきらかにファザコンでしょ。今だから言えるけど、信頼しながらそっぽを向いていた二人、という関係かな(笑)。

杉本真沙彌

■162『なぜか、父に似た人を……』

石渡明子さん(37)=会社員、小樽市出身、小樽市在住

 ―お父さんと仲が良いと聞きましたが。
 どうなのかな。居酒屋へはよく二人で行きます。父が先に行ってて「何時に終わる? 肉と魚どっちがいい?」などと携帯にかけてくることもあります。いま時期ならハタハタとか、リクエストした魚を焼いてもらって私を待っていてくれます。
 ―そこで何を話しますか?
 どうだろう。特別なことは話さないかも。
 ―お父さんを一人の男性として見るとどんな風に映りますか?
 えー、それは全然わかりません。男性ではなく一人の人間として見ると、わがままかな。言葉が悪いので、気持ちがストレートに伝わらないことが多いかもしれません。だから、その言葉で私がイラッとすることもあります。根は優しいということはわかっていますけど。それに、子煩悩な人ですね。小さいころにはテニスも教えてくれたし、キャンプ、バーベキューなんかずいぶんやりました。あまりに私にかまうので、うざいと思ったこともありました(笑)。でも、嫌だなと思っても、父に似た人を彼氏に選びがちなんです。どうしてだろう?

杉本真沙彌

■163『たった一つ残念なのは、技術の粋を未体験』

米内正樹さん(57)=デザイナー、札幌市出身、札幌市在住

 ―この春、新聞社を退職されて近況はいかがですか。
 少し早い定年を選択したせいか、「何かしないの」って、よく聞かれるんです(笑)。社会とかかわるという意味において、ずっと現役でいたいけれど、今すぐ何かをとは考えていないです。
 ―先日、お父さんの一周忌を営まれたそうで。激動の1年だったのでは。
 そうですね。父は晩年、病気との闘いで可哀想だったけれど、70過ぎまで歯科技工士として仕事をし、新しいもの好きで、いろんなことに夢中になり、いい人生だったと思います。
 ―まさしく、ずっと現役だったわけですね。
 父が車の運転を辞めてからは、仕上がった義歯を私が届けていたのですが、古〜い歯科医院が多かったです。親子でやっているところであれば、大先生からの注文。きっと長い付き合いだったんでしょう。いろんな事情で作るのに時間がかかり、それでも発注があったということは、確かな技術を持っていたのだと思います。私は自前の歯を持ちこたえていたので、父の技術を知らずじまいでした。

道産ヨネ

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