HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第26回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第26回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■141『長男の背中、経営者の背中を見せてくれました』

笹村一さん(52)=会社役員、歌志内市出身、札幌市在住

 ―交通事故に関する相談を無料で受け付けているわけは。
 困っている人に対して、どれだけ力になれるか。保険代理業務を営む中で、そこが最も大事であると実感しています。で、誰でも気軽に相談できる無料窓口が必要だと思い実施しています。
 ―公平中立の立場で公開討論会を開催する活動も続けていらっしゃいますね。
 選挙の立候補予定者に呼び掛けて公開の討論会をしてもらい、政策や考え方、人柄などをよく知った上で投票しようという運動で、道内、どこのまちでも選挙前に必ず討論会が開かれる流れができるまで頑張るつもりです。
 ―そうした使命感やリーダーシップの原点は。
 父の影響が大きいと思います。父は12人きょうだいの長男で、一時期、会社を経営していました。私も長男で、父が親きょうだい、従業員をはじめ、さまざまな人と接する様を見て育ちましたから、人を束ねていく上でどうあるべきか自然に身についたように思います。父もいろいろと苦労はあったと思いますが、設備業一筋に励んだところも尊敬しています。

(道産ヨネ)

■142『一緒にいるだけで安心。父に感謝』

和田一郎さん(39)=会社員、帯広市出身、小樽市在住

 ―アイスホッケー用品の販売店にお勤めですが、ご自身も経験者ですか。
 小学校の頃から始めました。帯広ではスピードスケートが盛んですが、ホッケーはそうでもありません。道路や中学校のリンクでやっていました。その頃なぜかホッケーは「不良のスポーツ」だったんですよ。
 ―小さい頃はお父さんと一緒にスポーツを?
 父は大の巨人ファンでした。仕事から帰ってきた父とキャッチボールやノックをよくやりました。私はホッケーの他に野球もやっていたので、父は良い練習相手でした。
 ―最近、ログハウスをセルフビルドで作られたんですね。
 友人の家で山のように積まれたログハウスの本を読んだのがきっかけです。山梨県でログハウスを見学しましたが、その時は梅雨で湿度がすごかったんです。でも、ログハウスに入ると中はカラッとしていて、その時「コレだ!」と思いましたね。建て始めから一週間、父が泊り込んで手伝ってくれました。作業をする父を見て「こんなに不器用だったっけ」と驚きましたが、一緒にいてくれるだけで安心でした。

(杉本真沙彌)

■143『同業者として、熱い思いを共有』

赤坂裕美子さん(35)=ボクシングジム・マネージャー、札幌市出身、札幌市在住

 ―脳梗塞で倒れたお父さん(赤坂佳昭さん、元日本ミドル級チャンピオン)に代わってボクシングジムを運営し、12年経ちましたね。
 父は北海道からチャンピオンを出すという目標を掲げてボクシングジムを開きましたが、そのころの私は継ぐなんて考えもしませんでした。でも父が倒れ、同じ道を歩んだがゆえに、目指すものが重なり、そこで初めて父の“思い”を知りました。
 ―2002年、ジム所属の畠山昌人さんが日本ライト・フライ級チャンピオンに。お父さんの夢をかなえた感想は。
 父の夢をかなえようとして頑張ったのではなく、結果的にそうなっただけなんですけど、北海道のジム初、女性トレーナー初の日本チャンピオン誕生ということで、方々で取り上げられました。父は「まるで世界チャンピオンになったようだ」と言って新聞を切り抜いていました。今のボクシング界は、少子化などの影響で先が見えない怖さがある反面、面白さもあります。父の指導法を踏襲して厳しくプロを養成する一方、野球やサッカーのように気軽にボクシングに親しむ練習生を受け入れ、すそ野を広げて行きたいと考えています。

(道産ヨネ)

■144『思えばおやじは寛容だった』

村山紀昭さん(64)=札幌姉妹都市協会会長(前北海道教育大学学長)、上川管内美深町出身、北広島市在住

 ―8月に学長を退任。現在の心境は。
 落ち着いたのがここ2週間位なんだよ。今は次に何をしようか考えているところだけど、思ったよりエネルギーがあるようなんだよね(笑)。
 ―お父さんとのご関係は?
 会話が少なかったね。私が生まれてすぐおやじは戦争へ。シベリアで抑留され、戻ってきた時、私は6歳になっていたからね。かわいい盛りを知らないし、とまどったんじゃないかな。反抗期の頃は理屈ばかり言っているおやじを見て、嫌だなと思っていたよ。
 ―その後、関係は変わりましたか。
 大学に合格したとき、すごく喜んでくれて驚いたね。すし屋に連れて行ってくれて「好きなものをなんでも食え」と。二人でカウンターに座ってね。その時食べた大きい海老がおいしくて今でも覚えているよ。大学時代、オーケストラに入っていて、チェロが欲しくて母親にねだったときも、おやじが親戚からお金を借りて買ってくれたし、学生結婚にも賛成してくれた。思えば寛容だったんだね、おやじは。和解しようと思っていたら急死。ショックだったよ。

(杉本真沙彌)

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