HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第24回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第24回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■133『最高の思い出は、手作りのサンドイッチ』

棟方量子さん(73)=フリーアナウンサー、青森市出身、札幌市在住

 ―民放アナウンサー、話し方教室講師、コミュニケーショングループ主宰と、話し言葉一筋に半世紀。その歩みのきっかけは、どのようなことですか。
 中学生のころ、毎夜ラジオから流れてくるアナウンサーや朗読者の声に聴き入っておりました。そして死ぬまでに一度でいいから、この箱の中からわたくしの声を出してみたいと思ったのです。演劇や合唱が好きで弁論大会にも出場しておりましたから、人様の前でお話しすることは何ら苦になりませんでした。
 ―自己表現が得意なのは血統ですか。
 曽祖父は武士で画家、祖父は刀鍛冶、父は彫刻家(故棟方一氏)、叔父は板画家(故棟方志功氏)ですから、血統なのかもしれませんね。芸術家には気難しい方が多いようですが、父は誰に対しても優しく接する人でした。書や料理の達人でもあり、釣りも名人肌。修学旅行に父手作りのサンドイッチを持たせてもらったのですが、いまだにあのサンドイッチの味は忘れることができません。後で気づいたことですが、ナツメグ、シナモンなどを使っていたらしいです。何にでも興味津々で極めるまで精進する父ならではの思い出です。

(道産ヨネ)

■134『怒られたことはあまりないけど……』

シンさん(31)=専門学校職員、渡島管内七飯町出身、小樽市在住

 ―お父さんのご職業は?
 大学の体育科の教授をしています。
 ―小さいときはいっしょにスポーツを?
 スキーが好きでよくいっしょに行っていました。教えてはくれませんでしたが……。あとは中学生の時、自転車で道南を2泊3日で周ったことがあります。1日100キロ位走ったので、中学生にはきつかったです。
 ―一言でいうとお父さんはどのような方ですか。
 何かをやると、最後までのめりこむタイプです。自転車やテニスのほかに、皮細工にもはまっていて、皮の鞄や抽象的なオブジェも作ったりしています。性格はやさしくて社交的です。僕より社交的(笑)。
 ―怒られたことはあるのでしょうか。
 あまりないですが、小さいときにテレビを見つづけたりゲームをやりつづけて、怒られたことがあります。テレビごと外に出されました。それくらいかな。
 ―仕事の話をすることはありますか。
 理学療法が僕の専門なので、スポーツ関連の話はしますね。「ひざが痛い」という父を僕の手技で治してあげることもあります。

(杉本真沙彌)

■135『厳しかった父。でも、兄弟はみな感謝』

高川紀九子さん(67)=保育園職員、網走管内遠軽町(旧生田原町安国)出身、小樽市在住

 ―今の保育園にかかわってどれくらいになりますか。
  NPOかもめ保育園にかかわって20年以上になります。3年前に園長を退き子育て相談室長に。病気やけがをし、退職したいと思うのですがなかなか退職させてもらえません(笑)。
 ―頼りにされているのですね。でも、9人兄妹の末っ子だとか。
 父が51歳のときの子です。父は今だったら虐待と誤解されるほど厳しい躾をしました。私が保育専門学校に合格しても入学を許しませんでした。「上の子にしてやれなかったことを下の子だけにできない」と言うんです。教育委員をしていたので、家に出入りしていた先生たち、そして兄も毎日のように父を説得しようとしましたが首を縦に振りませんでした。入学の申し込み期限が過ぎてしまい諦めたのですが、実は兄がこっそり申し込んでいたんです。入学式直前にそのことが分かりましたが父は何も言いませんでした。「このことで兄妹が仲たがいしてはいけない」と。
 兄妹はみな、厳しかった父に「感謝している」と言います。辛抱強さを仕込まれたからだと思います。

(杉本真沙彌)

■136『ハンディを強さに変えてきた人』

日野光英さん(45)=会社役員、空知管内上砂川町出身、札幌市在住

 ―お父さんは現役時代、「人間重機」と呼ばれるほど力持ちだったそうで。
 高校生のときに父の働いていた工事現場でアルバイトをしたことがあるんですが、父は通常の職人さんの3倍ないし6倍は仕事をしてましたね。仕事で人間の肉体がこれほど発達するのかと“たまげる”ぐらい指が太いんですよ。
 ―お父さんは、よほど頑張って働いてこられたんですね。
 冬山、炭坑、工事現場などで命懸けの力仕事をし、浜益から滝川まで雪に閉ざされた道なき道を、馬を引き往復したこともあったようです。父は人一倍体力があり仕事もできましたが、読み書きがわずかしかできず、言うに言われぬ苦労をしてきました。小さなころから畑仕事優先で、小学校にもたまにしか行かしてもらえずそうなったのですが、黙々と働いて力をつけ、仕事場で一目置かれる存在になった父は、私の誇りです。冬山から切り出した木材を馬そりに積み、目もくらむような急斜面を下ろすとき、馬が滑り台の“お尻滑り”の格好でスピード調節するよう調教した話など、何回聞いてもわくわくします。

(道産ヨネ)

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