HOME > 連載【となりの北海道人】『私のお父さん』第19回

連載【となりの北海道人】『私のお父さん』

第19回

*話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■113『いい子だったよ。そう言って送り出してくれました』

関根文子さん(87)=土地家屋調査士、札幌市出身、札幌市在住

 ―42歳で土地家屋調査士の資格取得以来、ずっと現役だそうで。
 事務所は以前から息子に任せていますから、ときどき顏を出す程度です。
 ―女性でこの資格を持っている方は少ないのでは。
 測量がありますし、必ず現地で調査しなければならないので、自動車が運転できるなど機動力がなければ難しいんです。そうしたこともあって国家試験に合格した昭和37年当時、札幌圏で女性は私一人でした。父は高等女学校の熱心な国語教師でうんちくもあり、生徒の評判もよかったようですが、国語よりも数学が好きでこの仕事に就いた私は、母方の血を引いたのかもしれません。
 ―お父さんは、どのような方ですか。
 子どもの意見を尊重するなど、何事においても民主的な人で、母との夫婦げんかもなし。主人との結婚が決まり、父と二人で親戚などにごあいさつして回ったとき、「お父さん、あんまりいい娘でなくて、ごめんなさいね」と言いましたら、「いい子だったよ」と言ってくれ、思い出すと今でも涙がこぼれます。

(道産ヨネ)

■114『父のことをもっと知りたかった』

大野和美さん(40)=大学院生、小樽市出身、札幌市在住

 ―大学の講師を辞め、現在、聖路加看護大学の学生をしているとか。
 4年制の看護大学がここ10年間で100校も増えたんです。教師が高い学位を持っていなくては学生の指導が難しいんです。自分の今後20年間のためにも学生に戻りました。毎週、飛行機通学しています。
 ―お父さんはどんな方でしたか。
 大工でした。仕事から帰ったら銭湯に行ってお酒を飲むという生活でした。私たちが父の勘にさわるようなことをすると、よくお膳をひっくり返していました。仕事柄、汚れた格好で帰ってくるし、おっかないし、思春期の頃は隣に座るのも嫌でしたね。
 ―お父さんとの関係は変わりましたか。
 コールドウェルの『タバコ・ロード』がきっかけです。本を読んで、「自然と関わりあいながら働くことが人間の本質なんだ」と思った時、父はその道から外れていないんだと。若い時に放浪したり、やんちゃだったことを人から聞いて、「今度父と話してみよう」と思った矢先です、父が亡くなったのは。父が考えていたことは、わからないままですね。

(杉本真沙彌)

■115『美術のことはわからないけど』

ダム・ダン・ライさん(33)=彫刻家、ベトナム・ダックラック省バンメトート市出身、札幌市在住

 ―古い家を改築して、ご自分でアトリエを作っているんですね。 
 彫刻家だけど1年半位大工をしてます(笑)。50年位前の家で床もなかった。電気も水道も自分で。日本の古い家はおもしろい。柱と柱の間、窓の幅に決まりがある。誰にも教えてもらってないけどやってるうちにわかってくる。8月にはここにギャラリー「Dala Space」ができると思います。
 ―ベトナムでも作品展を?
 年に何度かやってます。こっちでイメージしてベトナムで作ります。家には木と鉄が用意されたアトリエがある。タダで使えるギャラリーがあるから、芸術家は作品ができたらすぐに発表できる。
 ―お父さんはどんな方ですか。
 やさしいよ。きびしいし。小さい頃はすっごくきびしかった。昼は寝なさいとか、夜は出かけないで勉強しなさいとか。美術のことは全然わからない。でも国が息子の作品にお金を払ってくれたり、息子が自分で何かやったりすると喜んでくれる。お父さんが子どもの頃はベトナムの経済は良くなかったし、戦争も あったからやりたいことができなかった。子どもたちにはやりたいことをさせたいと思ったんじゃないかな。……多分ね。

(杉本真沙彌)

■116『六十代で挑戦し、忍耐力で花を咲かせました』

河本悦子さん(50)=主婦、網走管内斜里町出身、札幌市在住

 ―夏場はサイクリング、冬場は歩くスキー、毎日体を動かして健康的ですね。
 山登りもしますし、市民マラソンに参加したこともあります。運動が好きというより、長ーい距離が好き。ゴールを目指して苦しんで苦しんで到達したときの達成感がいいんです。距離が短いと、それがないから、つまんない(笑)。「私たちの忍耐力はお父さん譲り」と、きょうだいで話しています。
 ―お父さんの忍耐力って、そんなにスゴイんですか。
 まずグチを一切言いませんでした。農家の二男に生まれ、自分で農地を増やし、電熱線を取り入れたビニールハウス栽培など、いち早く手掛けたので試行錯誤し挫折もしたけれど、めげないんです。野菜の市場を求め、斜里から釧路に引っ越したのが63歳のとき。年齢が年齢だし、釧路の気候を考えると難しいと思ったから、周りは止めたんです。でも、父は農地を吟味し売れ筋を読み、3年目で軌道に乗せ、仏花用の小菊栽培で大成功しました。94歳で亡くなる寸前まで病弱な母を気づかい、懸命に生きようとしたところも尊敬しています。

(道産ヨネ)

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