笑いながら胎盤を埋める

笑いながら胎盤を埋める

vol.13

2011.04

胎盤とへその緒について説明し、持ち帰りの有無を確認する産婦人科スタッフ

 沖縄県は日本一出生率の高い県である。私がきょうだいの有無を聞かれ、「妹がひとり」と答えると「二人きょうだいですか。さびしいですね」なんて言ってくる県民性である。ちなみに、「えっ、一人っ子か末っ子だと思った」ともよく言われてしまう。私の中の勝手な統計では一人っ子と末っ子はワガママさんというか自分勝手な人が多く、私はそう見られていたのかと落ち込んでしまうこともしばしば。自分の中の勝手な統計で、勝手に落ち込み、一人っ子や末っ子の皆さんすみません。
 そんな子沢山な沖縄県にある病院の産婦人科は活気がある。たくさん産むものだから、最初のほうで生まれた子どもが弟や妹を産んだ母親を見舞いに来るのであるが、それが幼子ではなく中高生だったりする。
 私の祖母の末っ子で50代の叔母は、祖母の第一子と20歳離れている。祖母は戦時中から戦後にかけて8人産んでおり、最後のお産となった叔母は、祖母が長引くお産に疲れて眠っている間に勝手に出ていたそうで、慌てて産婆さんを呼びに行ったという。
 呼び出された産婆さんは、来るのを激しく嫌がったそうだ。その叔母が誕生したころは、沖縄では戦後の混乱がまだまだ残っており、障害児やアメリカ兵の子どもを産む可能性のある妊婦は、出産した赤ちゃんを確認してから産婆さんを呼ぶことがあったそうだ。望まない結果になった場合にはこっそり遺棄されることが少なくなかったという。産婆さんも厄介なことに巻き込まれたくないため、出産後の呼び出しに警戒を示したそうだ。
 さて、沖縄では出産後に胎盤を庭に埋めるという風習がまだ残っている。今でも沖縄の産婦人科は出産後に胎盤を持って帰るかどうかを聞いてくる。今月、沖縄の異なる病院の産婦人科で出産した二人に聞いたところ、胎盤を持ちかえるか聞かれたと言っていたので、今もつづいている出産儀礼であるといえよう。しかし、持ち帰る人は今では珍しいという。
 私が祖母から聞いた話では、埋める時に近所の子どもたちをあつめて笑いながら埋め、埋めたところを笑いながら跳び、「良く笑う子になりますように」との願いを込めたという。「笑いながら」というのは他の人々からも聞く話であるが、地域によっては出産にあやかれるように不妊に悩む女性を呼び、埋めた場所をまたがせたりもしたようである。沖縄各地でいろんな方法で埋められているようだ。
 ちなみに、この儀礼は江戸時代には本土でも普通に実施されていたと聞いたことがあるので、本土でも残っている地域があるかもしれない。

プロフィール

若月 元樹(わかつき もとき)
1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。
・黒島研究所

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