海上の国道

奄美大島で撮影した国道58号線を示す表示

 沖縄本島の西側を南北に貫く国道58号線は、車社会と呼ばれる沖縄の交通における大動脈である。那覇市では国道58号線の幅員を活用し、毎年10月に那覇大綱ひきの会場となり、中央分離帯を撤去して大綱をひき合う。ギネスにも申請してしまうぐらいの大綱で、綱が重すぎて綱ひきが成立しているのかは微妙ではあるが、ひいている人たちは楽しそうである。
 この国道58号線に対し、沖縄県民には色々な思いがあるようで、ゴーパチとかゴッパチなどの愛称でも親しまれている。
 沖縄本島の中部で開催されたある会合で、「ここまでどの道から来ましたか?」という問いに「1号線から来た」と答えたお年寄りがいた。問うた人はすぐに分かって笑っていたが、私は気付くのにちょっと間を要した。国道58号線は、かつては軍道だった。当時は1号線とも呼ばれていたりしたのである。つまり、1972年に沖縄が本土復帰する前は日本国ではなかったので、沖縄に国道は存在していなかった。米軍が有事の時は臨時滑走路になるように大きな幅員の道路を造ったとも言われている。
 沖縄本島は南北に直線距離で100キロあまりであるが、この国道58号線は、総延長が800キロを超えていることになっている。沖縄本島の北端にある辺戸岬(へどみさき)から北に与論島が眺望でき、この与論島からは鹿児島県となる。沖縄県と鹿児島の間には多数の島が存在する。このうち奄美大島と種子島にも国道58号線が存在し、鹿児島本土にも存在する。なんと、この総延長には海上の距離もふくまれていたのである。
 先日、奄美大島を訪れる機会があった。ご存じのように奄美大島は10月の豪雨の影響で甚大な被害が発生している。奄美大島をレンタカーで移動し、国道58号線の利便性を実感できたが、ところどころ土砂崩れが発生しており、片側通行となっている場所が数えきれないほどあった。
 特に、南の瀬戸内町へ行く国道58号線は完全に通行止めとなっており、大きく迂回しなければならなくなっていた。迂回路としてかなり奥深い山の道を通るのであるが、そこは奄美大島にしかいない特別天然記念物アマミノクロウサギの生息場所であり、交通事故が心配である。奄美は約400年前の薩摩侵攻や戦後の米軍支配など、沖縄と歴史を共有した時代もあった。沖縄本島と近いだけあって、ハブは存在するし、言葉も近い。自然や民俗は沖縄に近いと肌で実感できた。
 私が那覇に住んでいたころ、沖縄の某ミュージシャンが国会議員に立候補する直前、「議員になって何を訴えようと思っているのですか?」と聞いたことがある。彼は、「奄美諸島を沖縄に復帰させたい」と回答した。彼らしいと感じたことを思い出してしまった。
 歴史や自然だけではなく、同じ国道58号線を共有する沖縄県民として、奄美の国道58号線の一刻も早い復旧を望みたい。

プロフィール

若月 元樹(わかつき もとき)
1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。
・黒島研究所

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