アメリカンな街

観覧車が目立つアメリカンビレッジの夜景

 沖縄本島の中部にある北谷町(ちゃたんちょう)は、その北にある嘉手納町同様、米軍基地の街である。
 この北谷町の一部は、かつてハンビー飛行場と呼ばれる米軍施設であり、1981年に返還されている。北谷町はこの跡地を「アメリカンビレッジ」と銘打って街づくりを進め、現在は夜遅くまで若者でにぎわう街となった。
 15年ぐらい前、このハンビー地区が空き地だらけだったころ、ここはフリーマーケットで賑わっていた。いろいろなものが売られていた。私のお目当ては俗に琉球切手と呼ばれている切手だった。琉球切手とは、かつて沖縄がアメリカの統治下にあった時代に沖縄で使われていたもので、額面が円では無く、¢(セント)になっているのである。沖縄県内だけで流通していたので、沖縄の伝統芸能や自然、動植物が絵柄に採用されていて美しいのである。フリーマーケットの中には家中の売れる物なら何でも売ってやろうという雰囲気の店があり、そこから琉球切手を見つけ出して買うのを楽しみとしていた。
 今ではそのフリーマーケットも当時の雰囲気もなくなり、私には似合わないおしゃれな街並みとなってしまった。それでも、映画館があるので出向いてしまうのであるが、行く度に新たな建物が建ち、店ができている。
 返還後にできたこの街の目覚ましい発展と多くの雇用が目に映らない人たちがいる。タバコを吸うことによって国の財政に貢献していると勘違いしている喫煙者と同様に、「基地がなくなったら基地で働く人たちの生活はどうなるのか」と、聞き飽きた台詞を呪文のように繰り返す人たちである。彼らには基地従業員数の何倍もの雇用を生み出している北谷は見えないようだ。
 写真にある観覧車であるが、あまり人が乗っている気配がない。しかし、この街のランドマークとなっている。今年7月、遊泳中のアメリカ人男性が浮輪で沖へ流されて漂流し、16時間後に無事救助されるという事故が起きた。新聞で「夜中、北谷の観覧車の照明が消えてとても不安になった」という遭難者のコメントを読んで、あの観覧車だったら沖からも目立つだろうなと再認識したのであった。
 アメリカンビレッジと言っても建物の外装をちょっぴりアメリカンな雰囲気にしているだけのようであるが、私はこの街の回転ずしで箸を器用に使って寿司を食べる米軍関係者の多さと、ジャスコのドル両替機、スーパーによってはレジにその日のドルのレートが示されていることで十分アメリカンだと感じている。那覇などと比べると本当に米軍関係者、すなわちアメリカ人の多さが際立つ。
 現在、円高がつづいている。あまり円高がつづくと米軍関係者が基地の外で遊ばなくなってしまい、私の思うアメリカンな雰囲気は遠ざかってしまうかもしれない。

プロフィール

若月 元樹(わかつき もとき)
1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。
・黒島研究所

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