水の上の街

川の上の「むつみ橋」交差点、奥に「むつみ橋通り」と「市場本通り」の入り口がある

 那覇市に「国際通り」という通りがある。観光客も多く、県外の人でも知っている人は多いと思う。ちなみに「国際通り」の名前の由来は、通りに「国際劇場」という名前の劇場があったことから、「国際通り」になったと言われている。その「国際通り」の真ん中あたりに「むつみ橋」交差点がある。
 この「むつみ橋」交差点は、沖縄では数少ないスクランブル交差点で人通りも多い。ところが、名前に「橋」がついているにもかかわらず、付近を見渡すと橋どころか川も見当たらない。すぐ近くには「むつみ橋通り」と「市場本通り」というアーケードの商店街がある。この商店街は地元では「水上店舗」と呼ばれている。実はこの下にはちゃんと「ガーブ川」と呼ばれる川が流れている。
 私の祖父母はこの水上店舗でモチ屋を営んでいた。現在は子どもたちに引き継がれている。そのような関係で、この辺の歴史は特に祖母からよく聞かされてきた。
 戦後の那覇の復興は、壺屋(つぼや)という陶器などの焼物が盛んな地域から発展したとも言われている。その壺屋も水上店舗のすぐ近くである。私のおばーの話によると、戦後に米軍がガーブ川にフタをして、「ここで商売しなさい」と分譲して、商店街ができたらしい。日本では河川の上に建物が建っているのは橋以外では見たことないので、戦後の混乱と米軍統治下時代だった沖縄の象徴的な風景のひとつではないかと思っている。
 ついでに祖母から聞いたエピソードを紹介すると、「水上店舗で不発弾が見つかったが、通報すると時間がかかって商売にならないということで埋め戻したことがあったさー」と聞いたことがある。激戦地でまだまだ不発弾が大量に埋まっている沖縄では、だれでもひとつやふたつは不発弾にまつわるエピソードを持っているものだ。

「市場本通り」の様子

 私の不発弾エピソードのひとつを紹介しよう。学生時代、友だちのアルバイト先のコンビニ付近で不発弾が見つかり、処理をすることになった。処理作業中、避難するようにとのお達しが、コンビニにも来たそうだ。そのコンビニの店長がフランチャイズ本部へ相談すると、罰金の支払いを要求されたそうだ。店舗を一時的に閉める場合、閉めた時間分だけ罰金があるそうで、今回の不発弾処理でも契約通りの罰金を求められた。その店長は、ひとりで店に残ってコンビニを開けると怒っていたそうだ。実際にそうしたのかどうかは未確認だが、この本部の徹底ぶりが、コンビニ業界が成長した理由のひとつかも知れないと感じつつも、沖縄では台風が多いのでコンビニのフランチャイズは大変だろうなと感じたエピソードである。
 沖縄では、6月23日を沖縄戦が事実上終結した日として、「慰霊の日」にしている。学校なども休みとなり、テレビや新聞も「慰霊の日」にちなんだ特集を組む。というわけで、ちょっとそれっぽいことを書いてみた。
 ちなみに「むつみ橋通り」の隣の商店街は「平和通り」である。

プロフィール

若月 元樹(わかつき もとき)
1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。
・黒島研究所

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