死者の乗り物

与那国でちょっと前まで活躍していた龕

 私が暮らす八重山諸島には米軍基地がなく、現在ニュースをにぎわせている普天間基地問題も、よほどの運動好きを除けば、対岸の火事というか、ほぼ本土の人の感覚と近いと感じている。何が言いたいのかというと、沖縄県は小さいようで、東西に約1000キロ、南北に約400キロの範囲で島々が広がっており、範囲はとても広く、それぞれの地域で特色があると言いたいのである。これまでも、これからも、公私にわたり沖縄県内の各地をうろつくことから、それらの見聞を少しずつ紹介していこうと思う。
 現在は二十四節気の清明(せいめい)と呼ばれる時期である。沖縄ではこの時期を清明(しーみー)と呼び、先祖のお墓参りをするシーズンとなっている。今の時期、土日になると墓地が密集する場所が大渋滞となり、かつて私が那覇に住んでいたころは、識名霊園という大きな霊園を通る路線バスが、清明の時期だけ路線変更していたほどである。それほどの大渋滞をつくってお墓で何をしているのかというと、線香をあげたあと、まるでピクニックか花見のように飲んだり食べたりするのである。これが沖縄各地で繰り広げられている清明の実態である。
 沖縄にいる私の身内はモチ屋で、モチが仏壇や墓参りの際の御供えに欠かせないため、この時期は忙しい。従って我が身内は、一般的に清明が終わったころに一足遅れて開催する。ちなみに今月29日に開催する予定で、私もその日は那覇へ行く。私の知り合いの菓子屋さんも、同様の理由でGW明けに清明を行うと言っていた。
 沖縄はさすがに祖先崇拝の地域らしく、お墓は大きくて立派である。現在私が暮らす黒島でも、かつては家を建て、井戸を掘り、墓を持って一人前の男とされていた。沖縄の人の死生観では、死んでからが長いと考えられているようなので、お墓も自然と立派になる。
 お墓が大きい理由はもうひとつある。人が亡くなったらそのままお墓に入れていたためである。写真の神輿のようなものは死者の棺を入れてお墓まで運ぶ「龕」(がん)と呼ばれるものである。2006年に、約100キロ西に台湾があるという日本最西端の島、与那国島に行った際に撮影した。かつては沖縄中で見られたようだが、現在は博物館などに展示されるのほど珍しいものとなりつつある。この写真を撮影してから2年後に、台風によって保管していた小屋ごと壊れたそうで、昨年、「龕」を新調したというニュースが流れていた。今でも与那国では「龕」が活躍しているようだ。
 現在、人は自宅ではなく、病院で亡くなることが多い。また、そのままお墓に入れると、3年から7年後ぐらいに「洗骨」(せんこつ)という改葬儀礼をする必要があり、それを面倒がって火葬することが多くなっている。
 沖縄の離島や田舎に医師が赴任したというニュースを聞くと、赴任した医師により死亡診断書が地元で発行されることになる。そのままお墓に入れる習慣が多少は復活するのだろうなと、密かに洗骨に立ち会ってみたいと思っている私は考えてしまう。

プロフィール

若月 元樹(わかつき もとき)
1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。
・黒島研究所

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