最終回 霧の中の大連

最終回 霧の中の大連

vol.16

2011.07

 先日、私は濃い霧に包まれた大連にいた。数メートル先が見えず、日中でも車のヘッドライトをつけないと危険なほど、濃い霧だった。大連は北京から飛行機で1時間ちょいの距離なのだが、霧のせいで飛行機が飛ばず、遼寧省の省都瀋陽を5時間かけ経由し、予定より24時間遅れで到着した。飛行機の遅れは思いのほか疲れる。ましてや24時間も遅れると……。
 到着した私は、大連港で目を凝らしながら濃い霧の向こうを眺めていた。「何も見えるはずがない」と諦めかけた時、ほんの少し霧が風に流され、うっすらと改修作業が進む中国初の空母「ワリャク」が見えた。数時間すると肉眼でハッキリと巨大な母体が見えた。世界第2位の経済大国に成長した中国は軍備拡張も着々と進んでいるのであった。
 さて、私は次の出張があるため、いち早く北京に戻らなければならない。しかし、濃い霧が晴れる様子は全くない。仕方なく来た時と同じ瀋陽経由で北京に戻ることにした。時間がないのでホテルの旅行社に車を手配してもらう。車代は2000元(約2万4千円)以上かかると言う。飛行機のほうがよっぽど安い。何とか安くしてもらえないかと交渉し、1900元まで抑えて瀋陽へ向かうことにした。車はだいぶ古い型だがアウディーとエンブレムに書いてある。最初は仲介人と運転手2人が車に乗っていたが、途中で仲介人を降ろし、高速に乗って一路瀋陽方向へ向かった。
 坊主頭で体格の良い運転手が「お前はどこから来たんだ」と聞いてきた。「日本だ」と答えると、「なんだ、お前は日本に住んでいるのか」と私を日本在住の中国人と勘違いして話を進めた。運転手は「日本人は原発事故で汚染水を海に放出しやがって、どうやって責任を取るつもりだ、あいつら本当に許せない」とせきを切ったように大声で日本バッシングをはじめた。相槌だけは打っていた私だが、ここで日本人だとばれると殺されるのでは、と感じるほど憎悪に満ちた話がつづいたので、途中、寝たふりをして話しかけられないように気をつけた。

Photography:Minoru Iwasaki

北京の公園

 中国の東北地方では“坊主頭でサッカー好きで日本嫌い”の男性が渋いとされているのだろうか、彼は東北地方でよく見かける男性像だ。
 数時間すると、運転手はあの車に乗り換えろと言い、私は高速道路に停車する車に乗り換えさせられた。どうやら運転手ネットワークの様なものがあり、自分のテリトリーを運び終えると次の運転手に引き渡していくようだ。私は4台もの車を乗り継ぎ、無事、瀋陽空港に到着したのであった。ただでさえ長い移動だったが、車をたらいまわしにさせられたことも重なり、精神的にもへとへとだった。中国での旅はいつも一筋縄では行かないものだ。


 さてさて、前の連載「大陸人の時間」から合わせると4年半を超える私の連載も今回が最後だ。思えば最初にお話を頂いた07年の1月、私は生まれてはじめて北海道を訪れた。私の宿泊した札幌のホテルは、香港と広州から来た団体客が宿泊していて、北海道は中国人が多いんだなと感じたのを覚えている。07年から比べればきっと大陸からの観光客はさらに増えているのではないだろうか。そしてこれからも、いろいろいな場面で日本人と中国人との付き合いはつづいてゆくのだろう。
 本連載では、テレビや新聞メディアが伝えない中国、私が触れたり感じたりした中国を伝えられればと心がけてきた。私の文章を長年にわたり、根気よく丁寧に見てくださった(未だ見ぬ)杉本さんに心から感謝したい。またこの貴重な機会を与えてくださった和多田前編集長にも、この場を借りて感謝したい。
 長らくの間、本連載を見守っていただいた読者の皆さま、本当にありがとうございました。またどこかではじめられることを楽しみにして、その時までさようなら。


終わり

プロフィール

岩崎 稔(いわさき みのる)
写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。2010年度新聞協会賞受賞。
・Minoru Iwasaki Photography

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