伝説のカメラマン

伝説のカメラマン

 『北海道人』のメールマガジンで、新聞協会賞の受賞を報告してもらってから、たくさんの方からお祝いの言葉をいただいた。受賞したのは5月に訪中した北朝鮮の金正日総書記を大連のホテルで撮影した写真で、たまたまそこに居合わせて撮影に成功しただけなので、運が良かったとしか言いようがない。これを励みにまた写真を撮りたいと思います。
 話は変わるが、先日、夢のようなことがあった。もともと私が写真家を目指すきっかけとなったのは、高校生のころ、カメラマン沢田教一について書かれた「ライカでグッドバイ」を読んだことからだ。その後、ロバート・キャパというカメラマンの写真に出会ったことも私の写真の方向性に決定的な影響を与えた。ちなみに今私が飼っている猫の名前はキャパである。そのロバート・キャパが創設した写真家集団をマグナムと言う。マグナムは正会員や準会員などがあるが、正会員は約50人しかいない。日本人ではマグナム創設初期から参加している久保田博二さんただ一人だ。なんとその久保田さんと北京でお会いしたのだ。
 北朝鮮に出張していた先輩カメラマンが平壌で久保田さんと出会い、連絡先を交換した。北朝鮮に行くには通常北京を経由しなくてはならない。日本へ帰る際、北京に立ち寄った久保田さんがその先輩カメラマンに連絡してきたのだ。
 私にとってはレゲエミュージシャンのボブ・マレーに会うような夢のような話だ。もちろんボブには会ったこともないが。
 今年で71歳になる久保田さんは無茶苦茶元気そうだった。71歳まで第一線の現役カメラマンでいることだけでも凄いと思うのだが、話す内容が我々の目線と同じなのには驚いた。たとえば平壌で新しくオープンした遊園地を取材しに行った話では、「私はどうしても夕方の光で写真が撮りたくて、北朝鮮側の役人を説得して少し早目にスケジュールを変えた。そんな交渉だけでも北朝鮮では大変な作業だ。でもあの光はきれいだった」と。

Photography:Minoru Iwasaki

橋の上の少年

 私のように時間に追われ、できることから考えて撮影を進めているカメラマンとしては耳が痛い。そして胸に突き刺さる言葉だ。
 私は緊張してほとんど話せなかったが、会話が途切れたすきを見て、どうやって久保田さんがマグナムに入ったのか聞いてみた。
 久保田さんとマグナムの付き合いは学生時代、訪日していたマグナム会員のエリオット・アーウィットらのお手伝いをしたことからはじまる。「ニューヨークに来なさいとアーウィットにさそわれ、カメラ一つで渡米した」と久保田さんはひょうひょうと語る。「ニューヨークではロバート・キャパの弟コーネル・キャパのもとに転がりこんで、そのまま写真を撮っていたら、いつの間にか自分もマグナムの会員になっていた」とまたひょうひょうと語る。別れ際、久保田さんは私に「あなたの写真が見たい」と言って夜の北京の街に去っていった。
 そして翌朝、久保田さんから電話がかかってきた。
 「写真は今日見たい、準備できるか」
 その日の晩、私はまた久保田さんと会うことができた。写真を見せているときに久保田さんがこう語った。
 「私はパリでアンリ・カルティエ=ブレッソンに写真を見てもらった。彼は気に入らない写真は目の前で破ることで有名だったんだけど、私は破られることなく、お昼を御馳走してもらった」
 もしや私の写真を破るのでは、と一瞬不安がよぎったが、こんな機会はめったにないので是非写真を破ってほしいとも思った。久保田さんは「もう少し初期の白黒写真をコンタクトプリントで郵送してくれ」と言い、またもや私にチャンスをくれたのだった。会うたびに色々な発見がある久保田さんは、私にとっての伝説のカメラマンなのであった。


終わり

プロフィール

岩崎 稔(いわさき みのる)
写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。2010年度新聞協会賞受賞。
・Minoru Iwasaki Photography

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