段さん南へ行く(下)

段さん南へ行く(下)

vol.5

2010.08

 北京に戻ってきた段さんは、張さんや息子さんの猛反発にあった。私も車を使うたびに「こっちで地道に仕事をつづけたほうがいいのでは」と北京にとどまるように勧めた。
 段さんは「北京は空気が悪い、向こうはゆったり緑の中で暮らせる」と語った。その姿には、以前の素朴さも垣間見えるのだが、まるで人形のような表情で自分の本音を押し殺しているようにも見えた。こんなに身近だった人が別人のように変わることがあるのかと、少し不気味にも感じた。ただ北京の空気が悪いのも、南のほうがゆったり暮らせるのも事実ではあると思う。
 段さんは家族や親せきの反対にあい、白タクの仕事に復帰した。数週間が過ぎ、もう北海市に戻ることはあきらめたように見えた。
 ある朝、日本に帰国するため段さんに空港まで送ってもらった。私はもう“ネズミ講”の話など忘れてしまい、雑談をしていると段さんが切りだした。「最近、家の周りにも白タクが増えた、俺がいなくなったらあいつらを使えばいいじゃないか」。私が「まだそんなことを言うのかよ、もう北海市には行かないことにしたんだろ」と言うと、「まあね」とそっけない返事が返ってきた。
 約1週間後、北京に戻ると張さんから慌てた声で電話があった。「旦那が車を売っていなくなった、連絡がつかない」。絶望的な叫びのような声だった。

Photography:Minoru Iwasaki

上海の雑踏(下)

 段さんが北京に戻ってきてから数週間が過ぎていたので、張さんは段さんが北海市に行くことをすっかりあきらめたものと思っていた。張さんは段さんが「車の修理に行ってくる」というので、隠していた車両の書類を渡してしまった。そして段さんは、“2年後に戻る”という書置きと息子の学費を置いて、いなくなってしまったのだった。
 私は早速段さんの携帯に電話をかけてみる。スイッチはオフになっている。張さんは電話口で「もう私たちは終わった、車もない、旦那が帰ってきても白タクの仕事はできない」と落胆した声で語った。
 数日後、段さんのお母さんが心労で倒れ入院した。張さんは“ネズミ講”を勧めた親せきに連絡を取り、そのことを段さんに伝えてもらった。そして数日後、段さんはまたもや、ひょっこり北京に戻ってきたのだった。
 私はすぐに段さんに電話をし、“ネズミ講”には参加しないほうがいいのではと伝える。段さんは「このビジネスは絶対に儲かる。2年で160万元(約2千万円)儲けたら北京に戻ってくる。これはお前が言う“ネズミ講”とは違うんだ。投資なんだ。北海市は合法的に許された場所でこの街でしかできないビジネスなんだ……」とまるで早送りのテープを再生したようにぺらぺらと話しつづけた。
 そして数日後、お母さんが退院すると段さんはまたもや北海市に去っていったのだった。
 少しノイローゼ気味の張さんは私に「もしかしたら儲けて帰ってくるかもしれないし、金がなくなったら線路に飛び込むかもしれない。こうなったらなるようにしかならないわよ」と開き直るのであった。
 南に行った段さんはまたひょっこり戻ってくるのだろうか……。


終わり

プロフィール

岩崎 稔(いわさき みのる)
写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。2010年度新聞協会賞受賞。
・Minoru Iwasaki Photography

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