青海地震取材

 前回のバタバタ劇からもう1カ月が過ぎようとしている。結果から言うと青海地震の取材に向かった私は無事北京に「生還」した。大げさではなく本当に「生還」したという言葉が、自然に口から出てくるほど地獄を見た取材だった。
 4月15日の明け方、蘭州から西寧に到着した私と記者は、日が昇ってから高山病の薬や酸素、水や食料を買い込んで地震の被害の大きい玉樹に向かった。玉樹は標高3700メートルの高地にあり、チベット族が97パーセントを占める、人口約10万人の街である。
 途中、標高4000メートルを超える山道を通り、約15時間かけて目的地に到着した。早朝4時、街を車で徘徊する。人がほとんど見当たらない。真っ暗で地震の被害の様子も分からない。街外れにある競馬場で被災民たちがテントを張っていた。作りかけのテントでチベット族の女性が茫然と座り込んでいた。「娘が見つからない」と言った後、泣き崩れた。日が昇りはじめ、あたりが見渡せるようになると、先ほどまで歩いていた場所には大勢の被災民たちが毛布1枚を体に巻きつけ眠っていた。
 日が昇ったので街に向かう。石を積み上げて建てられた住居は、大きな石屑の山と化していた。地震で家を失ったチベット犬が飼い主を探し廃墟をさまよう。倒れかけた電柱の横で家財道具を運び出す女性たち。倒壊した建物で生存者を捜す救命隊。道端でお互いの生存を喜ぶ人たち。震災から3日目の朝、大きな被害を受けた街はまだ現在進行形で地震と戦っていた。

Photography:Minoru Iwasaki

被災地の仏

 とりあえず車の中でパソコンから写真データを送信して、また取材に向かう。朝から感じていた頭痛が激しくなる。二晩車での移動がつづき、寝不足と高山病で体がだるい。倒壊した建物の横にある空き地で横になる。子どもを抱えたチベット族の女性が「水を飲みなさい」とペットボトルの水をくれた。2時間以上そこで眠っていたら、頭痛が引いてきた。何度も高地を旅したことがあるが、初日は必ずと言っていいほど高山病にかかる。街を見下ろす崖の上にある結古寺に行く。寺院には数百体の遺体が安置されていた。百人近いラマ僧たちがお経を唱えている。数百年の歴史のある寺院も、本堂が半倒壊していた。ほとんどの僧侶が救命活動に向かい、閑散とした寺院には地震で崩れた仏塔が無残に転がっていた。
 夜になり、我々も寝場所を探すことになった。持ってきた寝袋を抱えて被災民たちがテントを張る競馬場へ向かった。ラマ僧が建てた大きめのテントを見つけ、日本から来たのだが中に入れてくれないかと交渉すると、快諾してくれた。
 深夜3時、凍えるような寒さで目が覚める。どうやら持参した寝袋は夏用だったらしい。水を飲もうとペットボトルに手を伸ばすとうっすらと氷が張っている。とにかく体を動かしながら朝が来るのを待つ。このラマ僧のテントには3日間泊めてもらった。朝になるとラマ僧が暖かい白湯をくれたので生き返った。
 到着から4日後、後援取材隊が食料やテントを持ってきたので食べ物と寝る場所の不安は無くなった。
 その後、3日間現地で取材して帰路に着くことができた。1週間以上顔すらも洗っていなかった私は、途中のガソリンスタンドで、鏡に映ったボブ・マレーのような自分の姿に驚いたのであった。

プロフィール

岩崎 稔(いわさき みのる)
写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。2010年度新聞協会賞受賞。
・Minoru Iwasaki Photography

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